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商品説明
新宿で起きた轢き逃げ事件。平凡な暮らしを踏みにじった者たちへの復讐が、すべての始まりだった。長崎から上京した子連れのホステス、事件現場を目撃するバーテン、冴えないホスト、政治家の秘書を志す女、世界的なチェロ奏者、韓国クラブのママ、無実の罪をかぶる元教員の娘、秋田県大館に一人住む老婆…心優しき八人の主人公が、少しの勇気と信じる力で、この国の未来を変える“戦い”に挑んでゆく。希望の見えない現在に一条の光をあてる傑作長編小説。【「BOOK」データベースの商品解説】
新宿で起きた轢き逃げ事件。平凡な暮らしを踏みにじった者たちへの復讐が、すべての始まりだった。心優しき8人の主人公が、少しの勇気と信じる力で、この国の未来を変える“戦い”に挑んでゆく! 『週刊朝日』連載を書籍化。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
吉田 修一
- 略歴
- 〈吉田修一〉1968年長崎県生まれ。法政大学経営学部卒業。「最後の息子」で文學界新人賞を受賞し、デビュー。「パーク・ライフ」で芥川賞、「悪人」で毎日出版文化賞、大佛次郎賞を受賞。
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書店員レビュー
人肌のぬくもり。そん...
ジュンク堂書店新潟店さん
人肌のぬくもり。そんなやさしい温かさが感じられる物語。
けれどもストーリーはそのホワホワとした温かさとは真逆ともいえるほどの、危険な香りがぷんぷんと漂うものとなっている。
なにしろ場面は危険な香りがよく似合う新宿歌舞伎町からはじまるのだ。
そこから始まる物語は面白いほどに、当然のごとく穏やかではない。
だがそれでも人肌のぬくもりを感じられるのはなぜか。
それは方言が随所に散りばめられているからだ。
自分のところの方言は出てこないが、それでも懐かしいような感覚になるのだ。
そしてそのこと以上にこの温かい雰囲気を作り出しているのが、出てくる人物。
素直で愛くるしく温かい人ばかり。だからきっとこのような人肌のぬくもりが感じられる物語になっているのだ。
読んでいる間、そして読み終わった後のこころの温度をほんの少し上昇させてくれる1冊だ。
文芸書担当 涌井
紙の本
お伽噺「猿蟹合戦」といえば私たちの年代なら誰でも知っている懐かしい昔話です。ところで私たちが子供時分はこのお話からどういうメッセージを受け取っていたのでしょうか。また、仮に私たちが現代の子どもたちに向かってこのお話をする場合、どういうメッセージをこめればよいのでしょうか。
2011/11/13 16:02
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:よっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
私は「弱いものたちが力をあわせて強いワルモノをやりこめる美しいお話」として受け止めていたような気がします。猿をやっつける計略も痛快でした。
そして吉田修一もこのメッセージをそのまま現代におきかえて『平成猿蟹合戦図』を作り上げたのだと思います。
長崎の五島福江島でホステスをしていた美月が新宿歌舞伎町の路地裏で6ケ月の赤ん坊の瑛太を抱いてうずくまっている。同郷の夫である朋生が消息不明になり、このあたり流れて、ホストをしているというから会いに来たのだ。韓国クラブでバーテンをしている秋田生まれの純平は朋生と知り合いで、このふたりの面倒を見ることになる。ところで純平は轢き逃げ致死事件を目撃するが、犯人として自首した奥野は身代わり真犯人はその弟の湊だったことを知る。純平と朋生は本当の犯人である世界的チェロ奏者の湊をゆすりにかかる。
物語はこんな具合にスタートする。歌舞伎町といえば暴力と麻薬と売春、こわ~い、くら~い、きたな~い歓楽街のイメージがあるから、当然にこの幕開けには緊張させられる。ところが、かなり重たい深刻な人間ドラマと思い込んだのは間違いで、登場人物のすべてが「ゆるい」のだ。お調子者で、生ぬるく、しまりがない、いい加減な奴ばかり。展開はコミカルにちゃらちゃらとあちこちに跳ねまくり、しばらくは本筋がどこにあるのかわからなくなる。読んでいてこのあたりは退屈だった。
主役級はまだある。湊の辣腕マネージャで政治家秘書を志す夕子の難問解決力は抜群だ。ヤクザの大物から惚れられている韓国クラブのママ美城は瑛太をわが子のようにかわいがり、朋生、美月、純平の世話を焼く。無実である奥野の娘で芸術家志望の友香は父を思い憂鬱が晴れない。彼女を慕うボーイフレンドの颯太。秋田に住む、奥野・湊の祖母にあたるおとぼけのサワばあちゃんは人生のなんたるかを知っている。息子夫婦は人に騙され悪徳金貸しに追い詰められた挙句に心中し、孫・奥野は轢き逃げで服役中、在宅介護サービスをうける一人暮らしだが、保育園児たちに昔話を語るのを楽しみにしている。
「新宿で起きた轢き逃げ事件。平凡な暮らしを踏みにじった者たちへの復讐が、すべての始まりだった。………心やさしき八人の主人公が、少しの勇気と信じる力で。この国の未来を変える<戦い>に挑んでいく。」
轢き逃げ事件の顛末に関心を集めさせた骨格らしきものはどこへやら、登場人物が出揃うあたりから一転して別の流れがはじまるのである。
現代日本の縮図がここにある。登場人物は全員、地域格差、所得格差、世代間格差と現代日本の格差社会の底辺にある弱者であり、勝ち組と負け組みに分ければ負け組みに属する人々なのだ。それが陰鬱のかけらも見せず、底抜けに明るく、心根がやさしいとしたところがいまどきの小説には珍しい作風だといえよう。
お伽噺で言えば蟹とその仲間たちをなぞっているのです。
そして
「優しい人間がバカを見るような世の中にしちゃいけない。新宿歌舞伎町で働くバーテン(純平君)がニッポンの未来を変えていく?!」
のであり、めでたしめでたしの結果となる。
「希望の見えない現在に一条の光をあてる」「爽快な読後感がやってくる」
と宣伝されている。
痛快感はあるのですが、正直なところ過酷な現実に思いを致しますと、あまりにも楽観的で、それで世の中が変わるならご都合主義だなと、どうしてもすっきりした読後感にはなりませんでした。
読む前から、「平成猿蟹合戦図」、このパズルめいたタイトルに私の興味は集中していました。お伽噺「猿蟹合戦」は当時の親たちの教育的立場によって「子供向けの善いお話」とされてきました。前述したようなイメージが刷り込まれました。ところがこれはまさに血で血を洗う復讐譚でもあるわけです。悪知恵の猿がお人よしの蟹を騙し、財産を巻き上げたあとで、蟹を殺してしまう。憎悪に燃える蟹の子等は復讐を企てる。栗・石臼・蜂・牛の糞らの助太刀を得て、猿を殺す。めでたし、めでたし。当時の私にははっきりとイメージできなかったが、これ敵討ちですね。
さて本著では誰が猿で誰が蟹であったかと考えてみれば、蟹は奥野・湊兄弟なのだろう。いや夕子もそうだろうなど思う。吉田修一の意図は、猿は政治であり、蟹は弱者である登場人物たちで、みんなで力を合わせて既成の政治に一太刀あびせるお話ととらえるべきかな………とか。
ところが、この作品を読んで最後まで消化し切れなかった異物がある。それは奥野・湊兄弟がこのままで許されるのかということなのです。いやそんなことを考えるようではこの作品を読む資格がないのかもしれないのだが、どうしても現実主義を脱しきれない私としてはすっきりとできない。そこで私は昔話の「猿蟹合戦」のメッセージを現代で通用させるには無理があるのではなかろうかと気がつきました。
そして芥川龍之介に『猿蟹合戦』という短編がある。いわば昔話の後日談といえるパロディ。
蟹は裁判で死刑の判決を受ける。理由のひとつに猿には殺意がなかったことがあげられる。
新聞世論は猿殺しは蟹の私憤によるもの、優勝劣敗の世に私憤の殺しとは愚者か狂者であるとして蟹に同情するものはなかった。経済界は蟹を危険思想の持ち主とした。学者は倫理学上の見地から復讐は善ではないと言った。社会主義者は、蟹は反動思想の持ち主で右翼にあおられたものとした。宗教者は仏の慈悲を知らなかったものとして憐れんだ。ある代議士だけが蟹のあだ討ちを武士道の精神としてもちあげたが、この時代遅れの議論は誰も耳をかたむけなかった。さらに蟹の妻は売笑婦に転落、長男は株屋、次男は小説家になった。お伽噺しか知らない読者は同情の涙を流すかもしれないが、それは婦女童幼のセンチメンタリズムに過ぎない。天下は蟹の死刑を是なりとした。などなどがあって最後に
「とにかく猿と戦ったが最後、蟹は必ず天下のために殺されることだけは事実である。語を天下の読者に寄す。君たちもたいてい蟹なんですよ。」
私が知っていた昔話の「猿蟹合戦」には弱いものに対するやさしさがこめられていました。
芥川はそれを充分心得たうえで逆手に取り、現実社会の過酷さを露骨にデフォルメしてこれほどまで痛烈に現代を風刺しているのです。弱いものへの警鐘としてぐさりと胸を突く鋭さがあります。
そして吉田修一の弱いものへのやさしいまなざしは紛れのないものです。昔聞いた「猿蟹合戦」のイメージを素直に、蟹とその仲間への思いをこめて直線的に表現したのがこの作品だと思いました。ラストで純平たち登場人物が得たものは尊い。世の中がこうあればいいなぁと私も含めて誰しもが感じることでしょう。それは「祈り」なのです。
ただ「甘さ」の後味がいつまでも残って、私の好みには合わなかったのです。
ふたたび「猿蟹合戦」で私たちはどんなメッセージを後世に伝えるべきなのでしょう?