紙の本
商店街で繰り広げられる人間模様と若者たち
2009/09/25 12:26
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投稿者:かつき - この投稿者のレビュー一覧を見る
仕事が忙しいのと、小説の新人賞をとったことで
体調を崩し、30を目前に会社を辞めたタケヤス。
それまで漠然と過ごしてきた地元の商店街との
縁が深くなっていきます。
空から見たらY字型になっていて、
縁起を担いで「八番筋」と名付けられた商店街は
年々お客さんが減りつつあるなか、
近所にショッピングモールができることで揺れ始めます。
タケヤスの中学時代の友人・ホカリ、
一度は地元を離れたが祖父の文房具屋を
復活させるべく動き始めたヨシズミ。
そして、ヨシズミの祖父が死んだ事件の冤罪から
商店街を追われたカジオ。
タケヤスがホカリの家の留守番をし始めたところに、
カジオがモールのディベロッパー会社の営業として
再びやってきます。しかし、カジオは大人になり、
仕事に打ち込み、過去のことは水に流しています。
中学時代からの4人、そしてその同級生たちとのやりとりを
挿話しながら、就職氷河期の20代を過ごした若者たちの
リアルな姿を描きます。特に母子家庭で、
親との関係をうまく結べなかった、この4人の生き方、
考え方が真面目で、頑張っている姿がいい。
それと対比するかのように商店街の暇な大人たちが
夜な夜な集まり、モール出店を承諾するかどうか、
結論の出ない議論と損得勘定を繰り返します。
この大人たちが反面教師となり、
厳しい現実に立ち向かっていこうとする
タケヤスたちの気持ちが伝わってきます。
その立ち向かう熱意が、表面上は現れません。
言葉としても表われません。
半径数メートルの周囲を固めていこうとする形が新しい。
内に抱えている喪失感や飢餓感はあるものの、
総じて自分がどのようにしたら幸せでいられるか、
20代で悟ってしまった彼らが40代、50代になった時、
実はとても力を蓄えているのではないでしょうか。
紙の本
大人になること
2022/02/12 13:19
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投稿者:GORI - この投稿者のレビュー一覧を見る
津村さんの描く登場人物たちが魅力的。
八番筋というアーケードのある古い商店街が舞台。
離婚して実家に戻ってきたタケヤス、文房具屋のヨシズミ、スナックのママを母親に持つカジオ、生活リネンを売る店のホカリ達は母子家庭の集まりもあり親しくなる。
彼らの中学校時代からと社会人になってそれぞれの事情で再び集まった商店街との関わりが交互に描かれている。
ラストで祖父の敵討ちを果たしたヨシズミには溜飲を下げる。
なんかスッキリした読後感がいい。
今のヒリヒリするような若者たちの現実感が描かれているが、しっかり大人になり、皆んなのこれからが楽しみと思い浮かべられる。
紙の本
商店街成長物語
2018/02/14 23:56
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投稿者:szk - この投稿者のレビュー一覧を見る
ややこしい大人の中で育ってきたヨシズミ、タケヤス、ホカリ、カジオ。30を目前とした今と、中学時代の回想が交互に書かれ物語に厚みをつける。帯にある「孤児」の物語とは言い得て妙だ。彼らに親はいるがどこかずれている。見ている方向が違いすぎて相容れることはない。誰独りとして彼ら若者と共感する「大人」が出てこないのが新鮮。突き抜けてる津村さん。エト夫人が所有する土地の行く末で大人たちは右往左往する見事にブザマ。最後エトさんがびしっと決めるあたりは爽快。なめんなよ!と私も思った。あまり教訓のないお話、それがまた良い。
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地元で生きる柵を考えさせられた。
と言っても自分ではこういう地域コミュニティが発達したところで暮らしたことがないので
少し憧れも感じたり。
しかしこの人の作品はどうして登場人物の名前がみんなカタカナなんだろう。
記号的に描くのが目的なのかもしれないけど、名前から何のイメージも抱けないのでだんだん誰が誰だか混乱してくる。
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この「八番筋カウンシル」に出てくる三人の同級生のように、津村記久子は何かしら家族という存在に対して違和感を抱きつづけてきたのだろうな、とふと思う。そして、それは全く同じように自分にも当てはまるなあ、とも。
話は全く変わるが(と言いつつ本当はそのことと関係があるのだけれど)怒りというものについて考えてみる。「アレグリア」での怒りの描かれ方は少々大げさだったと思うけれども、津村記久子は登場人物をよく怒らせる。怒りというのは、自分でも怒ってしまってから反省しつつ気づいたりするけれども、何か引き金となることに対する直接的な感情の反応のようでいて、実際のところは伏線のような気分や感情のもつれ、ゴタゴタとしたものの複合的な絡み合いから生まれる来るもののように思う。なんでそんなに怒らなくちゃならなかったのか、と後から思うことの多い感情だと思うのである。
この、何に対していらいらしているのかはっきりしないまま、常にいらいらしているような登場人物が描かれるところ、実はそこが案外自分が津村記久子を気に入っているところでもある。
そういう漠然とした違和感を抱えている人間は、自分も高校生くらいまでそうだったのでよく解るけれども、とにかくよく怒る。ありとあらゆるものに対して腹を立てる。腹を立てながらも根が真面目なので怒るルールのようなものを勝手に作って腹を立てるのである。そして大概そのルールは社会的な正義と強く結びつくことが多くなる。繰り返すが、自分もそうだったのでよく解る。
けれど、その怒りは、正義という仮面をつけたもっと奥深い感情の仮初めの姿に過ぎない。自分のもやもやを怒りによって隠しているだけなのである。しかも、その行為が無意識に行われてしまうところが厄介なのである。
では何故に無意識にそのもやもやとした感情を隠してしまおうとするのか。そこを掘り下げるには、どうやら年を重ねるしか手立てがないように思う。少なくとも自分にはそうだった。恐らく、その隠したがっている感情が、問うてはならない禁忌のようなものと結びついているらしいことが、容易に感じ取れるからである。禁忌が気にならなくなる歳になるまで待つしかないのである。でなければ、それを否定することがそのまま巡りめぐって自分を否定することに繋がってしまいそうになる論理の連鎖を断ち切れないからだ。その禁忌とは親のことなのである。
恐らく「ポストライム」で初めて、津村記久子はそのことと正面から向き合ったのであったのだと言えるかも知れない。ただし、その描かれ方はまだまだ自ら感じる違和感の方に比重が寄っていた。もちろん、親と子という関係の中からその違和感が生じていることは、しっかりと捉えてはいたけれども。それがこの「カウンシル」では遂にその違和感の正体を意識の底から引き揚げることに成功したように思う。だから、この本の中の登場人物が怒る時、これまでと比べて手心が加わっているように感じるのだ。何かを隠すために怒っていることがはっきりと意識されて描かれていると思うのである。
ともすると一つ一つ結論を出しつつ先に進むような文章が続くところがあり、それを文体の変化���あると言ってしまっても良いように思うのだが、それは案外自分の見つめているものを一つ一つ間違いのないように確かめる行為なのかとも思ったりする。そう思うと、なんだか少し嬉しくなるような心持を感じている自分がいることに気づく。これまでの本に比べて、多少混沌とした雰囲気が出てきたようにも思うけれど、この本の津村記久子は、相当いい、と思う。
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芥川賞受賞後の第1作ということもあり、読んでみたが、、。登場人物がカタカナなのと、話し言葉が大阪弁というのは、これまでの作品で慣れたつもりだったのだが、、。カタカナの登場人物たちは、名前なのか苗字なのかまぎらわしく、名前だと思っていたら実は苗字だったことが判明したり、大阪弁が多すぎるんじゃないかな、とストーリーではない部分でもやもやし、あまり面白味を感じられないまま半分ほど読み進める。なんだか今ひとつ乗り切れない。乗り切れないから、なぜカタカナなんだ?なぜ大阪弁なんだ?と考えながら読み進める。
日常生活や狭い範囲の人間関係をこまごまと描写しながらも、無味乾燥なカタカナ名での表記や、あえて大阪弁で会話をさせることで、とりあえず読者の多くは細かいニュアンスまでは感じられないだろうから、距離感を取らせているのか、、なんて思う。距離感を感じさせることで、登場人物たちの感情を共有することなく、客観的な視点で見てほしいのかもしれない。
終盤で、子ども時代のわだかまりや、コミュニティの関係性が動き出すことで、ストーリーも動き始める頃にようやく面白味を感じただけに、装置に頼らず、ストーリーや登場人物の魅力だけで書かれているともっとおもしろいんじゃないかな?と思ったりした。
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〈内容〉30歳を目前にして体調を崩し、会社を辞めたタケヤス。地元の八番筋商店街では近くに巨大モールができることで青年団(カウンシル)の会合が騒がしくなっていく。地元を出た者と残った者、それぞれの姿を通じ人生の岐路を見つめ直す成長小説。
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ラストは多少、スッキリとした印象はあるんだけれども、作中の2/3は、普通の人達に潜む悪意や矛盾、人間の愚かさに晒されて、どうにも気分が良くない。
しかも、主人公の性格がうっとうしい
リアルで人間臭く、“大人になってもなかなか成長できない大人が少しずつ変わる様”というものを、うまく描いているとは思うのだが、かなり好みが分かれるでしょう。
とにかく登場人物全員が好きになれない
読み終わると、つまらない作品だとは思わないんだけどね
好みがわかれる本でしょう
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図書館で借りて読みました。
男性主人公だし、
今まで既読のものと少し傾向違うかも。
最後少し駆け足だったような、、、
主要人物のその後が気になります。
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どうでもいいけど、名前がカタカナなのはもうそろそろやめてもいいのでは・・・
全体的に、うっとおしさが充満していて、
そのうっとおしさが、だらだらと書きつづられる。
こんなうっとおしくも狭苦しいコミュニティだけど、
やっぱり居続けるしかないんだろうな、
そういう風にしか生きられないんだろうな、
というやりきれない気持ち。
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すべては大人の事情で動いている。今度のこともそうだ。父は弟を連れ出し、母は弟をゆるす。家族さえなければ起こらなくていいことなのに。自分なら誰も連れ出しはしないし、誰も許しはしない。
(P.175)
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親の不幸が子供に連鎖してしまっているような内容に、重苦しさを感じる。子供に罪はないのに、と改めて思う。自分が違う境遇であっても、主人公の感性に強く共感した。どうにかして幸せになって欲しい、という思いが少し最後の方で実現しそうな雰囲気なのが救いか。ホカリ、とは苗字か名前か。それならどういう漢字なのかがとても気になった。
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「ポトスライムの舟」が手に入らないので(金欠のため&図書館予約待ち)、かわりに読んでみた本。
初めて読んだ津村さんの作品。
感想は…
他の作品はわからないけど、この本を読む限り、思考がそのまま文章になっているのが、この人のウリなのかな?
思いついたままの順番を文章にしている感じなので、文章は読みづらいし、理解しにくい。
読みやすい文章とは正反対な感じ。
でも、それがある意味すごいのかも。
この作品は、会社を辞めた20代の青年が、生まれ故郷に戻ってきて、小学校からの自分やまわりの人たちを回想しつつ、なんとなく日常が動いていく話。
普通だと、過去の自分を思い出したりするときは「今の自分とは違う」ってスタンスで観ると思うんだけど、この人の作品は、過去の自分の思考が蓄積されて、今の自分を形成してるっていうふうに描いている。
人間というのは、連綿と続く思考で形作られているのだ、みたいな。
まあ、悪く言えば、過去が忘れられないウジウジした男なのかもしれないけど。
とにかく、それほど大きなストーリーがあるわけでもなく、伊坂幸太郎のゴダール評のように「世界一退屈な名作」に近いかもしれない。
「1Q84」のように万人に読まれる作品ではないな、残念ながら。
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作家デビューを果たしたタケヤスは退職して地元に戻ってきた。
ホカリの家で店番をしていると次々に訪れる八番筋カウンシルの人々。
彼らは地主のエトばあさんの土地を売って
ショッピングモールを建設するか否かで話し合っているらしい。
しかもその担当をしているのがヨシズミのおじいさんの死に
関係があると疑われて町を追われたカジオだった。
カウンシルの意向よりもエトばあさんに確認するべきだと思い
タケヤスはエトばあさんの友達の家を訪ね、
カジオの妹のアキと再会する。
ホームレス支援をしているアキと連絡を取りたいがために
タケヤスは失踪した父親を探していると言ってしまい
会いたくなかった父と会う羽目になってしまった。
そして父からヨシズミの祖父の死の真相を知り…
装丁:田中彩里 写真:佐藤信太郎
スルメ本だと思います。
最初読んだときはあっさりした印象だったけれど
レビューを書こうと思ってぱらぱら読み返すと
人間模様が浮き上がってきて深みを感じた。
ホカリと比べてタケヤスの大人になりきれていない所が目立つ。
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現実のうっとおしさを登場人物全員から匂わせ、全編に渡って暗い雰囲気は拭えません。
けどまあ死ぬほど最悪でも無い、と最後にちゃんと納得させるのはすごいです、津村さんさすがです
今回は商店街に生きる人々を描いた物語で、親に捨てられた若者の成長が焦点。
あまり惹きつけられるシーンは無く集中力散漫で最後までいっちゃいましたが、主人公タケヤスの終盤のセリフに共感したので載せときます。
それまでの鬱屈がちょっと晴れる、好きな言葉
「どうして男と女が家族になって子供ができるのだろうということが信じられないし、子供の集団が傍を走ってくと、自分がかつてそうであったことがうまく想像できない。大きなレンズのカメラを首からぶら下げながら初老の男が歩いてるのを見ても、自分がそうなるということが信じられない。
何時の間にか友達は大人になっている。そのことを純粋な驚きで受け止めているが、他の人間から見たら自分も大人になったのかもしれない。」