紙の本
辞書のあれこれ
2020/12/11 19:29
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:岩波文庫愛好家 - この投稿者のレビュー一覧を見る
普段何気なく使っている辞書について、製作・編集者の立場から様々に述べられた非常に興味深い一書です。言葉の意味を知るという事の奥深さを垣間見た気がします。
サンキュータツオ氏の本にもありましたが、辞書は本当に沢山出回っており、夫々に個性があります。意味を説明・解釈するのは人間であり、その出版社の方針により実に面白いものです。
多くの人が製作に携わり、数えきれない程の労苦を経て世に産声を上げた辞書は、まだ『その言葉』を見ずにいる言葉がある筈です。本書の文面にある『辞典の文字の海の中でそれらのことばが、いつか誰かに見付けられて読まれるのを待っている』事に儚さを感じずにはいられません。
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三浦しおんの「舟を編む」を読んだので、その舞台裏もとてもおもしろかった。
勉強になることもたくさんありました。
本好きのものにとっては、言葉がとっても大切ですし、そもそも辞書が大好きという人もいるくらいですからね。
自分が正しいと思っていた読み方も習慣的なものだと指摘されてた。
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村上春樹が無人島に持参するのは辞書だそうだ。
辞書は誰かの研究の結果だ。そのまま受け取るのでなくて、同じ結果になるにしてもまず自分で考えることが大事。テキストをよく読んでどんな意味かを推測する。
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長年「広辞苑」「岩波国語辞典」などの辞書作りに関わってきた元編集者による一冊。派手さはないけれど、辞書にまつわる話のあれこれが面白く、辞書や言葉が好きな人には楽しいと思う。
最初の方で出てくる、辞書を使った「たほいや」っていうゲーム、結構愛好者がいるそうだが、いやあ寡聞にして知りませんでした。辞書に載ってはいるがほとんど誰も知らない言葉を親が出題して、子は各自その解説をいかにもそれらしくでっち上げ、それらと正解を一緒に提示して、これぞと思うものに投票する、というもの。公式ルールもあるらしい。とても面白そうで、やってみたーい!と思うのだが、著者も書いているとおり「センスがあってヒマもある」人が五、六人は必要で、うーん、これは無理だよ。第一、ちょっと自分でやってみようとしたらわかるけど、辞書の解説らしく書くってほんとに難しい!なんとハイブロウなゲームであることよ。
ちょっとした衝撃だったのは、著者が勧める辞書の備え方。出番を多くするために「置き場所を居間に、できれば手の届くところに」 うんうん、これは当然で、私もそうしてますよ。「函やカバーははずして」 え?ボロボロになったのをしつこく補修してどっちも後生大事に付けてるんだけど…。「できるなら手近なところで開いた状態で寝かせておく」 えーっ?まさか!傷むでしょ!「かざっておくものではありませんから、大事に保護しておくよりは、開くまでに手がかからないことを優先されるようお勧めします」 うーん、そうですか…。
辞書作り一筋の著者が、電子辞書の膨大な容量を使って遊んでみたいこととして書かれていたことの一つが、「岩波国語」や「広辞苑」で、同一の項目について初版から現行の版に至るまですべての解説を収録したものがほしい、ということ。これはまったく同感だ。一つの言葉をめぐって、辞書執筆者、編集者が様々に頭をひねってきた経過を見て、あれこれ考えるのは想像するだけでも楽しい。どこかやってくれないかな。
他社の辞書について論評したくだりもあるのだが、基本的に辞書編集者というのは、自社の他部署の編集者よりも、他社の辞書関係の人との方が共感し合えるものだそうで、その仕事ぶりへの敬意が伝わってくる内容だ。ところがその中で、人気の「新明解」についてだけは、控えめではあるけれどちょっと辛口なのが面白かった。
次のようなところに、著者の辞書を愛するこころがよく出ていて、共感する。
「いま『教養』ということばははやりませんが、直ちに必要ではないかも知れないがあることについて知っている、という豊かさ・贅沢さを味わわせてくれる紙の辞書は、なかなかのすぐれものだ、と私は高く買っているのです」
広辞苑を読み込んだ川柳は数少ないそうだが(そりゃそうか)、著者が「ひそかに愛する」という一句が紹介されている。
人の世や 嗚呼にはじまる 広辞苑 橘髙薫風
私の手元にある一番古い広辞苑は、昭和五十三年発行の第二版補訂版。広辞苑に絶対の信頼をおいていた父が、大学の入学に際して買ってくれた。以来、辞書を引くと言えばまず広辞苑。現在の第六版に至るまで、改訂されれば買い、職場用に買い、子どもの進学時に買い、いったい何冊買ってきたことか。
今もすぐそばにあって、考えてみれば、ずいぶん頼りにしてきたものだ。今やずいぶん老いた父をしみじみ思ったりする。これでちゃんとお礼を言ったりすれば「いい話」なのだろうが、これがなかなか難しいのよ。まあ、広辞苑がピカピカの新品のまま、本棚の重鎮としてまさに「不動」の位置を占めている我が子たちに比べれば、立派な親孝行じゃない?と勝手に思っている。
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広辞苑や岩波国語辞典の編集者が,辞典編集の内幕のようすを語ってくれます。
言葉が時代と共に変化していくのは,仕方がないことなのに,「日本語の乱れ」などといって,嘆く大人がいっぱいいます。ましてや,その変化を辞典に取り入れることに対しては,反論もあったり…。
単に50音順といっても,辞典によって違ってたりすることを初めて知りました。
とかく精密さだけを辞典に求めていた人は,目から鱗の内容が満載ですよ~。
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高知大学OPAC⇒ http://opac.iic.kochi-u.ac.jp/webopac/ctlsrh.do?isbn_issn=4004314526
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若かりし頃、何を思ったか広辞苑を暗記しようと挑戦したことがある。もちろんたちまち挫折した。しかし村上春樹も無人島に本を一冊持って行くなら辞書だという。辞書は読書の対象としても面白いのだ、多分。
辞書の読み方、楽しみ方、遊び方から、どうやって作っているか、そして「辞書の宇宙へ」と題された、飛躍したお話まで。これは中々バラエティに富みつつも、辞書・ことばという縦糸が通っていてなかなか楽しい。「舟を編む」も「辞書を編む」も入手しながらずっと読んでいないが、先にこっちを読んだのが、さあ幸せか否か。
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辞書に答えを求めていたが、それがすべてではないこと、言葉は移り変わるものだということを実感します。
いま誤用と言われる言葉も未来ではそうでなくなるかもしれない。変化を受容することも必要だけど、少し寂しい気もします。
自分の一生で広辞苑のどれだけの言葉を自分の語彙として持てるのだろう。。
本読も。
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日本語尾音索引の存在を初めて知った。谷川俊太郎が、絶賛したのは、成る程さと頷ける。欧米では、詩で韻を踏むのが当然で、という類いは、知っていたが、押韻辞典rhyming dictionaryがあるとは、知らなかった。自分の無知を知る事が出来る本と出会う事が楽しい。登録商標エスカレーター、ドライアイス、万歩計、魔法瓶、回転寿司。
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最初本屋で見たときは、今一インパクトがなく食指が動かなかった。地味な本なのである。おそらく、この2014年7月16日に東京の研究社英語センターで、三省堂国語辞典の編者飯間浩明さんと並んで本書の著者増田元さんたちの鼎談に参加しなければ読んでいなかったかも知れない本である。それであわてて本屋を探したがなく、絶版かと思って、図書館で借り、東京への新幹線でひととおり目を通した。だれかの話を聞くとき、その人の本を読んでいるかどうかは大きく違う。本書は、全体に控えめだが時にはっきりと主張する増井さんの人柄がしみ出るような本である。本人のお話しを聞き、文は人を表すことを確信した。正直とても温かい気持ちになった。一つ一つの話も短くとても読みやすい。増井さんは岩波の国語辞典、広辞苑の編集の仕事を出版社の側からささえてきた人で、規範的と評される広辞苑が意外と進取の気風に富んでいたり、だじゃれが入っていたりしたことを知った。以前、遠藤織枝さんの本で、広辞苑の第何版かに「女遊びは卒業した」という例が載っていたのを知っていたが、それも話題に出ていた。増井さんとしては、今の世ではこんな例はうけいれられないだろうが、それはかつてふつうに言っていたことばだと言いたいのだろう。それは、今の辞書がこの世の表の顔だけを映していて、裏の顔、本音を出さないことの反映である。裏の顔をもった辞書もあってもいい。しかし、それを広辞苑に求めるのは無理だろう。NHKでラジオやテレビの仕事をしていたとき、商標名に敏感になったことがある。ホッチキスは知っていた。回転寿司は、奈良に遊んだとき「くるくる寿司」と呼んでいるのを知って変なの、と思ったが、回転寿司は商標名だったのだ。あと、キャタピラー、エスカレータ、魔法瓶も商標名だそうだ。また、「尊敬、尊重」の違いを単に、訓で読んで片付けているのを批判していたが、これは中国の同義語解釈でぼくがいつも不満に思うことと一致する。2字漢語の意味の違いは全体として分析しなくてはならない。増井さんは出身が文学畑で、その香りが本書にただよっている。そのかわり、語学的にはこれはどうかと思うこともあった。たとえば、「長さ」があって「短さ」がないというのは言語学では常識だ。最初のところで、刑務所から辞書の用例のカードを送っていたという外国の例もOEDにまつわる有名な例で、それについての本(翻訳がある『博士と狂人』?)も出ているくらいだ。こんなこと岩波の編集部のだれかが教えてあげればいいのにと思った。
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増井元『辞書の仕事』岩波新書、読了。本書は辞書編纂に30年以上係わった著者が、その内幕を丁寧につまびらかにする一冊。非常に面白かった。辞書は「引く」ものなのか「読む」ものなのか。おそらくその両方なのだろう。辞書づくりの「黒子」に徹した著者の語りは、言葉を使う意識を深化させてくれる。
辞書にクレーム?と聞けば驚くが、ずいぶん問い合わせがあるとは意外だった。定番となった商品から定義に関するまで幅広い。厳密な定義を求める人も多いというが著者は「深い信仰心を持つ方」とばっさり。著者自身、言葉に敏感だが柔軟。厳密が言葉として正しいとは限らない
「食べる」に比べると「食う」とは乱暴な言葉だ。しかし著者はあえて「食う」と使うようになったという。「食べる」とは「賜ぶ」から転じて、目上の者から飲食物を頂くとの意(柳田国男『毎日の言葉』)。私たちが「常識」とするコードにあえて反発する著者のお茶目がすごくいい。
「ことばが好きでたまらない方、国語辞典を愛される方、また辞書に一家言をお持ちの方、この本を楽しんでくだされば幸いです」。それ以外の方にも読んで欲しい。 https://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1310/sin_k735.html
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「広辞苑」「岩波国語辞典」の編者が語る辞書作成蘊蓄。光文社新書の「辞書を編む」が編纂業務中心に描かれているのに比べると辞書製作全般に渡っている。新明解にはやや否定的。
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広辞苑などを担当した辞書編集者のエッセイ。言葉って生き物だなと考えさせられるエピソードが多数。仕事のスパンが長い辞書編集。〝完成品〟を見ずに異動などで部署を離れる場合も少なくないらしい。『舟を編む』は希少な例か。(途中で異動になる人も描かれているけど)
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広辞苑を中心にした辞書作りの話だが、多くの話題が満載だ.その中でも"「目が点になる」はいつから使われた"や"顰蹙は「買う」もの"が面白かった.辞書を引くことは苦ではないが、知らない言葉が多い!
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この本を読んで、辞書を引いたり、書き写したりするのが好きだった子ども時代を思い出した。言葉の選定から意味、用例の書き方、紙の質に関することまで、細かい色々なことがエッセイ風に書かれてあるので非常に読みやすかった。溺れそうなほどにたくさんある言葉を言葉で説明するって難しいなぁ…と果てしない気持ちになると同時に、これからも辞書を引く習慣をなくしたくないと思う。