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アジアに多くの国がある中で、どうして近代化に日本だけが成功し、中国・韓国は失敗したのかが良く分かる!
2010/08/06 17:58
21人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
アジアで西洋の挑戦の本質を国家としてきちんと理解し、これを真正面から受け止め、消化し、独立を維持し、その後に大発展を遂げたのはアジアにおいて、わが日本しかない。これは誰が何と言おうと動かすことの出来ない歴史上の事実である。
韓国は最後の最後まで国家として体を為すことが出来ず、最後は欧米諸国に見放され「韓国みたいな国際的禁治産者は、日本さん、あんたが後見人として面倒を見てやってよ」ということになって、日本は国際社会から祝福される形で、韓国を併呑した。
中国はもっと悲惨だ。太平天国の乱で国土が荒廃し人口が激減。二度にわたるアヘン戦争の敗北で、アヘンの流通が自由化され世相は紊乱。小日本とバカにしていた日本に日清戦争でコテンパンにやられ莫大な賠償金を日本に献上し台湾も割譲。さらに義和団の乱を自分では鎮圧できず国際社会に支援を仰ぐ始末。日本の真似をして「大清帝国」を詐称していたが、清はもはや帝国でも何でも無い破産状態国家であることが満天下に知れ渡ってしまった。これで清は崩壊し、その後に続く混乱の中で、生きながら国家を方々から蚕食される「失敗国家」に転落してしまった。方や東洋の希望の星として国際社会の五大国の一員にまで上り詰める我が日本と、中国・韓国の間に広がる残酷なまでの格差は、一体どこに理由原因があったのだろう。これを突き止めることが私の課題のひとつなのだが、この疑問に本書は非常にわかりやすく答えてくれる。
日本の成功の最大の原因は、西欧の優越を謙虚に受け止め、これを丸ごと消化し、その為には日本国の「国のかたちそのもの」を変えることも厭わなかったことであろう。徳川家中心の幕藩体制では西洋の衝撃に耐えられないと見るや、京都から天皇家を担ぎ出して東京に遷都させ、大日本帝国憲法を制定し、天皇陛下中心の立憲君主国を立ち上げてしまう。自惚れが強く、最後の最後まで科挙による秀才選抜システムと、このシステムの基幹である儒教価値体系の欠陥を直視しようとせず、つまり中国の社会構造の欠陥を最後まで直視しようとせず、ただ西洋の衝撃を「武器の差、道具の差」程度にしか考えなかった中国と日本では、平たくいえば認識力に天と地ほどの格差があったのであって、それがその後の日本の栄光の歴史と中国・韓国が辿った屈辱と転落の歴史の差となっていることが分かる。それまで「帝国」という言葉なんか使ったことのない中国が、日本の真似をして「大清帝国」を詐称し、「大清皇帝は、大清帝国を統治し、万世一系、永久に奉戴される」なんて書くに至っては、サルまね国家コピペ大国=中国の面目躍如であり、笑わせる。
面白いのは中国(清)の日本認識で、当時から李鴻章は「日本は、朝鮮、琉球、ベトナムのような属国ではない」と日本が中国の支配に属さない対等な国であると認めていたことだ。モンゴルのフビライが10万の軍勢をおくっても、これを全滅させ撃退し、明代には倭寇として中国沿岸を荒らしまわったが、中国側の反撃を寄せ付けず最後までワガモノ顔で荒らしまわって凱旋する日本を、中国は畏敬の念をもって見ていたことが本書にははっきりと書いてある。
日本の薩摩藩の完全なる統治下にありながら、こっそり中国に朝貢し冊封を受け、日本と中国両方から援助をむしり取ろうとした琉球王朝の小賢しさも本書にはっきり書いてある。
傲慢で思い上がったシナ人は「以前、中国に朝貢していた国々は、みんな中国の属国であり植民地なのであって、それらは中国に服属する運命にある。タイもベトナムも台湾もミャンマーもチベットも新疆ウイグルもモンゴルもシベリアも朝鮮も、全部中国の領土だ。東シナ海も沖縄も南シナ海も、全部中国のものだ」とわめきだし、東南アジア諸国全部とアメリカ、インドまでをも敵に回そうとしているが、本書を読むと、朝貢んまるものが、西洋流の「支配と従属」という概念とはかけ離れたユルーイ関係で、形だけ中国の体面を尊重し、中国に頭を下げるようなフリだけしてくれれば、後はなーんにもしないからねという空虚な関係だったこともよく分かる。厳に、中国とタイとの関係ではタイ語で書かれたタイ国王の国書は、「翻訳」の過程で本文とは似ても似つかぬ中国礼賛文に書き換えられており、これを知ったタイ国王が激怒し200年近く続いた朝貢を止めた経緯も本書に詳しく書いてある。
はっきり言おう。中国の最大の欠陥は「国土が広すぎること」である。大男、総身に知恵が回りかねを地で行く肥満国家中国は歴史上自分の国土を有効に統治した経験がない。中国人は4千年前から国家の理想を「小国寡民」としたが、大陸では小国は何時理不尽な暴力にさらされ虐殺占領滅亡されるか分からないので、不安に駆られた中国人は常に安全保障のために広大な領土を持とうとする。しかし領土が広くなればなるほど、言語の統一が不可能になってコミュニケーションギャップが生じ、国土が広大すぎてインフラ整備が追い付かず、内陸部と沿岸部では交易その他の面で条件が違いすぎ、ものすごい格差が生じるが、歴代の中国王朝は国内の格差解消に有効な手を打てず、勝ち組と負け組の格差が鮮烈になって、負け組が新興宗教既存宗教にからめとられ、やがて負け組が大反乱をおこして国家そのものが滅亡する。この繰り返しが中国の歴史である。いわば国家そのものが「哀れな三途の河原での石積み」状態にあるわけだが、これは今も全く変わっていない。
この三途の河原国家中国の近代化の失敗の歴史を興味深く解説する本書は、岩波新書にしては、よく出来た歴史書と言って良い。この夏のイチオシである。
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清と日本が近代に入っていく時、どう理解すればいいのか
2023/09/01 21:08
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投稿者:雑多な本読み - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦後、日本は高度経済成長を経て、GDP世界第二位となったが、中国の経済発展があり、2010年に日本が抜かれ、今や中国のGDPは日本の3倍余りとなった。日本の輸出入額共にトップは中国である。アメリカの影響下にあっても、多くの分野で中国を抜きに考えることはできない。中国の近現代史を知ることは必要となる。新書でシリーズとなっており、定評があるものとなる。シリーズの中で本書が出たのは2010年である。著者は中国近代史の専門家であり、1冊目を担当する。清朝にスポットライトを当てるが、清朝はそもそも北方ユーラシアの伝統を色濃くもった国家であるが、いったん存亡の危機に直面し、近代世界の中で変革を遂げて19世紀を生き抜いた清朝。目次を見ると、
はじめに
第1章 繁栄のなかにはらまれた危険
1 清朝の隆盛
2 繁栄と紛争
3 統治再建の時代
4 アヘン戦争
第2章 動乱の時代
1 太平天国
2 連鎖する反乱
3 第二次アヘン戦争
4 西洋との協調・対抗
第3章 近代世界に挑戦する清朝
1 明治日本と清朝
2 ロシアの進出とムスリム反乱
3 海外移民の展開
第4章 清末の経済と社会
1 経済の活況
2 清末社会の動態
3 地域社会の再編
第5章 清朝支配の曲がり角
1 激化する国際対立
2 学知の転換
3 清朝の終幕にむかって
おわりに
あとがき 参考文献 略年表 索引 となっている。
以上のように、江戸時代は朝鮮通信使、琉球との交流はあっても、清朝とは施設のやりとりといった恒常的な関係はなく、明治時代からとなる。李鴻章の名前が出てくる時代である。この時代は、日本と清朝というわkでなく、帝政ロシアはもとより、欧米列強が清に圧力や貿易を求めてきて、それに乗り遅れるなとばかり日本は出ていく。清では租界ということばをよく聞く。19世紀前半では、アヘンを買わされ、銀が流出し、その原因と思われるアヘンを巡って戦争となる。この時、日本は危機感を覚えたであろう。私たちが東アジアという時、どこまであろうかという疑問のひとつにこの清という国がある。一読してほしい本である。
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清朝末期というと、国難よりも自己の利益を優先させたとされる西太后を思い浮かべる人もいるかもしれない。しかし、清朝は、近代西洋に立ち向かうために、さまざまな努力をした。本書からは、これまでの清朝観をうちやぶろうとする姿勢が感じ取れる。版図の拡大と民族問題、海外へ向かった華僑、海外労働力となった苦力、四方の隣国との関係等現代中国がかかえるさまざまな問題の源流がここにはある。その中で大きくなっていく日本の存在等、アジアのみでなく世界史の中で清朝をとらえようとする意欲的な著書である。
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19世紀の清朝が内外の様々な問題を抱え、それを逐一処理に当たっている様子がよくわかった。太平天国や捻子、回民などの国内動乱は興味深く読んだ。
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『中原の虹』の影響で、中国近現代史を勉強し直そうと。
まさにこういう本をイメージしていた!という「シリーズ中国近現代史」を発見。今回はそのシリーズの1巻目。本当に知りたいと思った時代よりもちょっと前のものだけど、シリーズ物はきちんと最初から読みたいタイプなので。
清朝のイメージが大分変わった。列強諸国に好き勝手されて、なすすべもなく侵略されていたとばかり思っていたんだけど、それなりに対応しようと努力し、また改革なども行われていたんだね。
シリーズ2巻目も楽しみだ。
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イギリスからアヘン戦争で攻め込まれた清朝の歴史。衰退していく国権の象徴のようなイメージだったが、実は立て直した人々の努力と忍耐の歴史である。
他人にかまっている暇のないくらいの厳しい経済環境と、中国で必ず起きる人口急増に伴う国内情勢不安。それを外に向けるようにロシアや東南アジアに矛先を向ける。
間に合わずに、崩されていく国力と厳しい政治環境。最終的には、海外に出て、いろいろなことを学んできた人間が少なく、それが今の日本の海外に出ていく力の無さに重なる。
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中国近現代史の起点として、19世紀の清朝を多面的に描いている。混乱と没落というイメージで捉えられがちの清末だが、自己変革の試みがいろいろ展開されていたことが述べられている。清朝曾国藩の日本観が興味深かった。沖縄県の成立を巡る過程についても記述されていて、沖縄問題を考えるうえで参考になった。新書ということもあり読みやすく、非常に水準の高い清末史の概説書である。
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中国近現代史の始まりを清朝後半の歴史からスタートさせることは、そう自明なことではない。日本史の場合、徳川日本を近代国家の始まりと見なせないのと同様でもあり、またそれとは大きく異なるとも言える。そこが難しい。
本書は清朝後半から日清戦争までが叙述されているが、アヘン戦争から一直線に滅亡へと傾いていったわけでは必ずしもないことがよくわかる。清朝もさまざまな近代化への挑戦をおこないつつ、続く「中国」へと変貌を遂げていくのであるし、清末の経済発展の動向も見落とせない。#釐金(通行税の一種)などもこの時期に登場した比較的新しいものであることをはじめて知った。
またハワイの王様も清朝を訪問し、アジアの連帯を説いたりしたなど、周辺地域やそれと関係の深い諸国の叙述も興味深い。
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後書きに「清朝の後半期について、その生き生きとした時代像を描き出したいというのが、本書執筆の最大の動機だった。ともすれば単に衰亡の過程とみなされがちな歴史をとらえ直したい。」(231頁)とあるように、康煕・雍正・乾隆3代の聖君の時代が終わり、白蓮教の乱とともに18世紀を終えた清朝は、まさに坂を転げ落ちるように19世紀を通過したような印象を持ちます。アヘン戦争と南京条約、虎門寨追加条約に望夏条約・黄埔条約、アロー戦争(第2次アヘン戦争)と天津条約・北京条約でヨーロッパ勢に蚕食され、頼みのロシアもアイグン条約・北京条約で東北地方に進出してきます。同治の中興・洋務運動と入っても後人からみれば不徹底な改革で清朝の限界を感じ、西太后が政治の混乱に拍車をかけ、極めつけは日清戦争による敗北とその後の列強による中国分割。高校世界史に登場するこの頃の中国の事項を並べたら、まさに19世紀の清朝は「衰亡の過程」です。しかし、中央政府の混迷は必ずしも国全体の衰退というわけではありません。この時期の中国における「地方分権」的性格は溝口雄三先生が『中国の衝撃』(東京大学出版会 2004年)などで述べているところですが、会館・公所や郷勇など地方による自助・自衛など地方の動きはむしろ活発な動きをしています。さまざまな立場の人が、それぞれの状況に応じてヨーロッパの「近代」と対峙または適応しようとし、そして激しく移りゆく流れにのまれ、逆らおうとする、19世紀の中国とはそんな時代だったのでしょう。
それにしても、この時期における世界の一体化は近年授業でも必ず取り上げられるテーマですが、この本を読みそれをつくづく感じました。フランス革命に対し対仏大同盟を提唱したイギリスのピット首相は実はマカートニーを清朝に派遣した人物であったり、アメリカの黒人奴隷使用によるプランテーションで栽培された綿花を購入する際の決済として発行された手形が巡り巡って中国貿易を行っているイギリス地方貿易商人の本国への送金手形になっていました。アヘン戦争には自由党の大人物グラッドストンが反対し、アロー戦争には穀物法廃止で授業でも登場するコブデンが反対しています。同治の中興の背景に、オーストラリアやカリフォルニアで金鉱が発見されたことによる銀余りがあったことも目からウロコでした。
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19世紀、清朝末期の歴史を外交、社会、文化等を中心に概説する。
清朝末期には太平天国の乱を筆頭に他にも数多くの騒乱が散発しており
清朝政府は逐次対応できていた点など
はじめて知るような内容も多く、楽しむことができた。
何より本書は語り口が非常に平易で読みやすかった。
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中国の近現代史を勉強しようと思っていたところ、ネットで岩波のシリーズが比較的よくまとまっているということで挑戦。
この本は清朝末期の状況についての概観。列強の進出に加え、内部でも反乱が起こる。国ってこうやって崩れていくんだ。
とはいえ、ただ崩れるに任せていただけではない。清朝も洋務運動・変法運動など近代化の模索を続けていく。ただいずれも支持基盤は盤石ではなく、成功することはなかった。
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2010年初版の岩波新書。
中国の近現代史をざっくりと把握し直したい、というときに、
大変に意外なことに手軽な本というのがなかなか見つからなかった。
あったとしても初版が1960年代だったりすると、ちょっと躊躇ってしまう。旧社会主義国家の歩みというのは、ソ連崩壊を機に価値観そのものがひっくり返ってしまっているので。
色々物色して、結局岩波新書の「シリーズ中国近現代史」を手に取ることに。その第1巻。吉澤誠一郎さんという学者さんは全く知りませんが、巻末のプロフィールを見ると1968年生、若い。毛沢東中国への憧憬と無縁の世代であることは悪くないのでは、と。あとは矢張り、「岩波」という編集機関への信頼感。
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「清朝と近代世界」というタイトル。
なんとなく清朝が安泰な時代の雰囲気から語って、日清戦争手前くらいまで。
読んだ僕の理解で言うと。
もともとは、満州地域の民族であり勢力であった人々が、明国が崩壊した間隙を突いて南下。いわゆる「中国全域」に王朝を築いたのが「清朝」。1616年の成立なので、大まかは江戸時代の始まり時期です。関が原が1600、江戸幕府開始が1603、大阪の陣豊臣滅亡が1615、徳川家康没が1616。
もともと、他民族が漢民族を征服した国家。
そこに上乗せとして儒教朱子学で体裁を整えた。
科挙による官僚制度で国の仕組みを作っていた。科挙の背骨は儒学である。
更に琉球や朝鮮など、「清の属国なのか、只の隣国なのか」みたいな微妙な周辺地域を抱えていた。
そして、日本と大まか同じような限定地域で、外国との交流貿易を行っていた。
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もう、1700年代には外国からアヘンが入ってきています。
産業革命を経て、国家的簒奪事業として貿易と威嚇を行っていたイギリスを筆頭とする「列強」は、膨張の必然としてインドに続いて清の領土に徐々に侵略してきます。
清朝は早い段階でアヘンを非合法指定していましたが、貿易現場での腐敗収賄などによって、どんどん流入してきます。
ちなみに列強は中国でお茶や綿織物などを買っていきます。
この清が経験した、「国家的規模の麻薬汚染」というのは恐ろしいものです。
善悪は別として、大規模な腐敗収賄などを含めて、列強のような「近代国民国家」という仕組みや意識を作れていなかったことが最大の原因なんだと思います。
一方で日本では、この清の阿片漬けの悲惨を見聞したことで、「こりゃ近代国民国家にならんと、うちもやられてまうで」という危機感が出来たんだと思います。
アヘン戦争以前、で言いますと、膨張する列強の冒険的商人や政治家からすると、中国は旨味がある市場なのだけど、とにかく儒教がんじがらめの社会の仕組みが邪魔くさかった。よそ者には習慣が分からないし、行政も社会の仕組みもとっかかりが悪い。
その上、清朝全体に「俺達が世界でいちばんだもんね」という高慢さがあるわけです。礼儀問題だけで、まともな外交がはじまらない。
でも一方で、どうみても近代国民国家に程遠い社会の仕組み。
軍隊兵士が、清朝を守るために本���に必死で戦うのか、というとそうではないでしょう、と。
さらに、自国第一主義で工業化以前のために、兵器や科学の分野で遅れている。
どこかで、実力で圧倒して貪る機会を狙っていたのでしょうね。
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結局はアヘンを持ってくるのは列強なんです。(ただ、儲かる、となると、清国人も多くがその事業に加担したのですが)
些細な個人同士の喧嘩殺し合いに等しい事件から、「アヘンの没収禁止」に奮闘努力していた林則徐の勢力とイギリスの間に武力衝突が。
これに、イギリス議会でぎりぎり過半数で派兵が決定されて、1940年アヘン戦争。1942年には清が敗北を認めて条約を結びます。
つまりこの戦争は、まあ簡単に言うとどんな理由でもいいから一度武力でマウンティングをして、いいなりの都合の良い条約を結ばせて、アヘン貿易もやりやすくすることが目的だったんですね。「アヘン戦争」というのは極めて妥当なネーミング。ひどい話です。
なにしろ、様々な不平等条約の中には、「林則徐が没収して焼却したアヘンの賠償」まで含まれています。焼却したときには、アヘンは中国では違法薬物だったんです。無茶苦茶ですね。このときに香港も割譲します。
もう、ここからはアレヨアレヨと諸外国に同じような不平等条約です。
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長年鎖国の国が、圧力で開国する。不平等条約の中で貿易が始まる。まず外交面において、政府が無能を見せてしまう。一方で旧態依然の内政制度で、18世紀に膨張した人口のお陰で地方の格差などの問題が堆積されている。
というわけで、いろんな種類の反乱が各地で起こります。
1851−1864の「太平天国の乱」が有名ですが、インド方面の国境地帯でイスラム教徒による反乱がやはり20年位続いていたのは知らなかったです。杜文秀の乱。
こういう戦乱が各地で起こります。長引きます。
もうこうなると、中央の「朝廷」がどうこうよりも、各方面で「うまくやることができる」実力者が台頭します。例えば李鴻章。
このあたりはみんな、「列強は強いから精神論じゃ勝てないよ」ということを知った上で、利害の合うところは列強も巻き込んで、その軍事力を利用して反乱を鎮圧します。たくましいものです。
1857年には、またしてもいちゃもん近い「アロー号事件」で第二次アヘン戦争と呼ばれる、列強vs清朝の戦争が起こります。
ほぼ北京近くまで攻め込まれて、また降参です。ここでもはや完全に武力に脅されて、アヘンの貿易を合法にさせられます。痛ましい。
そんなこんなで国内は無茶苦茶です。さすがに清朝も政治改革を迫られます。一部では仕組みなど改革が行われます。
なんだけどそんな時期に皇帝が死んで、次の皇帝が幼かったので、生母である西太后さんの時代がやってきます。これが1861年。不幸でしたね。
西太后さんがどれだけ「悪い人」だったのかは知りませんが、ともあれ「西洋科学文明にある程度リスペクトを払わないともうあきまへんで」という時代に、相変わらずの「清朝がナンバーワンで、大事なのは儒教の礼節です」という価値観で立ちはだかったのは確かなようですね。朝廷の中枢は現実への対応能力をほぼ失ったまま漂うことになります。
そうこうしているうちに、1868年には日本で明治維新が起こって、泥縄ですがとにかくアジアで先進的な「近代的国民国家」が発生。言ってみれば老舗のお隣のヤクザが代替わりして、仁義もクソも無い近代経済を踏まえた暴力団に生まれ変わって、義理人情関係なく縄張りに襲い掛かってきます。台湾に色気を見せて出兵。琉球を二重所属から日本だけの領土に編成。朝鮮にも食指を伸ばします。国内では工業化をがむしゃらにすすめます。
無論、同時代の清朝でも、それを全て理解して、清朝もやらねば、という発言はありました。あったけど、行政の仕組みに乗り切れず。もはやどこに主権があるのかすら、たがが緩み始めています。ほとんど、李鴻章が清朝を体現しているかのよう。
李鴻章は、どんどん清朝も近代化しなくちゃ、と、列強から軍艦を買って配備したり、いろいろと進めています。
明治日本政府と清朝、という二項対立で言うと、やはり朝鮮ですね。朝鮮は複雑な時代で。清朝の属国のような、でも自主国家のような。。。という漂い方で何百年もやってきました。そして清朝以上に儒学朱子学に絡め取られて国家を運営していました。
この「朝鮮」という土地を、「明治日本」という振興ヤクザが、善悪も仁義も関係なく、列強の真似をして自分の縄張りにしたかった、というのがどうやら日清戦争の動機と言えるようですが、その辺からが次の巻になるのでしょう。第1巻終わり。
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全体としてはディティールが豊富なのはありがたいのだけど、若干多すぎて混乱もしました(笑)。もうちょっと、「解釈」「まとめ」的な語り口が多いほうが、読み進む上では面白かったかも知れません。
あと、アヘンを持ち込んで売る、ということに列強が恐ろしくこだわったのに、それが末端の消費者の生活にどのような様相と意味を持ったのか、というあたりの記述がゼロ。そこは読みたかった。
と、言うような不満はありますが、ともあれこの中国近現代史っていうのを客観的に通史としてざっくり見せてくれるライトな本がなかなか無い中では、実にありがたかったし、落ち着いた大人の語り口であることには安心しました。さすが岩波さんです。
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日本の近代史を学ぶ過程で中国の近代史を併せて学ぶ。
・清という少数民族が、なぜ中国を統一することができたのか?
・中国の近代化の遅れの理由は?
近代化に関しては、当時、中国は欧米諸国との接点が日本よりも厚く、人材の層も厚かったはず。
清が、中国という広大な地を統一していた、という実態はそもそもなく、分権化が相当に進んでいた、ということなのだろう。
歴史を見ると、どうしても時の権力者しか表面的には出てこないので、このあたりの実感を得ることが難しいような気がする。
清朝が潰れても、新たな勢力が取って替わって出てくるという状況からも、それが説明できる。(国家が破綻したわけではない)
また、強い地方分権と共に、個人主義の強さがあるのだろう。(華僑もその文脈で説明できるのだろう。彼らは国家を信じない)
個人主義には家族主義や民族主義は入ってくるのかもしれない。何れにしても国家の概念は異なる。
李鴻章にしても、国家を代表しているとは言い難い。
国家として富を蓄え、それを国家として投資に回す、という発想、仕組みがなかった。
この点が、日本の近代化と大きく異なるところ。
中国は、清朝後半に反植民地化となるのだが、国家としては衰退するも、個人として懐を厚くしてケースは幾らでもあったと思う。
これは現在の中国にも当てはめることができる。
共産党一党独裁政権ではあるものの、経済活動は日本よりも自由に活発に行われている。起業家精神も旺盛だ。
中国のこの二重構造を理解しないと、状況を読み誤るし、中国は近代化が遅れた、と安易に結論づけるのは正しくないと思う。
以下抜粋~
・清朝の人材登用のすぐれた点は、科挙の成績や旗人の家柄だけでは必ずしも高い地位が保証されず、これらの人材の集まりのなかから、仕事のできそうな者を皇帝が適宜に使ってみて昇進させていくという点にある。
・清朝の版図についてみれば、その拡大の経緯からして、多様な人々を各様の仕方でつなぎとめることで成立し、広大な内陸を含みこんでいた。19世紀中葉の危機を乗り越えた清朝は、イギリスが覇権をにぎる近代世界に対応するなかで、新局面を沿海部で開いていった。
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中国とはどんな国かを知りたかった。
米ソ冷戦時代が終わり、「眠れる獅子」と呼ばれた中国がついに眠りから覚めた。日本を追い越し世界第二位の経済大国にのし上がった。
歴史学者アーノルド・トインビーは「世界政府ができるとすれば中国のリーダーが世界政府のリーダーになるだろう」と言った。
その中国とはいかなる国なのか。
中国を理解するために、清の成立から没落までの歴史を知る必要がある。
1840〜1841年:アヘン戦争(清vs英)
1856〜1860:第二次アヘン戦争(清vs英・仏)
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この本では清朝の繁栄とそれに隠された苦難について記載されている。その苦難というものは欧米との外交と国内での反乱に分けられると思う。外交についてはアヘン戦争、第2次アヘン戦争後の南京条約や北京条約によって清朝から利益を貪りとる列強たちに手を焼いた。
国内での反乱については18世紀の人口増加に伴い、豊かな暮らしを手に入れた人々がいた一方でそうではない人々もいた。後者にとって洪秀全の教えは光り輝くものであり、後には太平天国の乱を起こした。それに連鎖する形で他の省でも動機は違えど反乱が起き、大地は荒廃していった。