紙の本
自由な精神がここにある
2003/05/02 10:43
6人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:仙道秀雄 - この投稿者のレビュー一覧を見る
今までずーっと気になっていた書物ではあったが、こんなに凄いとはつゆ知らなかった。
読み進めばすすむほど、この九鬼周造というひとは、世俗の空気と理論の世界とを自由に行き来できる小林秀雄や宣長級の自由な精神の持った一級の洞察家ではないか、と感心、感心、また感心。
「いき」の四角柱をもっと学びたい。こういう考え方はある事象を概念を使って多様な角度から把握するには非常に優れたアプローチではないかと思う。
2項対立で論を組み立てるのはよくある。ここでも同型の構造(二元論といってもよい)が九鬼周造の思考の軸になっている。しかし驚かされるのは、2項がさらに立体的になって、四角柱や正六面体にまで発展していること。
ある事象に関して、その立体模型に(スピノザの)「度合い」をこの四角柱に位置付ければ、各点を結んでできあがった図形がその人の個性であったり、ある時代でのその事象の位置付けとのちの時代の位置付けとを比較すれば差異の発見につながり、これを唯名論的に比喩できるのではないか、とも思う。たいへんイマジネイティブな議論である。
2篇目の「風流に関する一考察」では、風流とは俗からの逸脱だと語られている。ということは九鬼周造は、資本運動から逸脱しつつ差異を創出する事業実践を夢見るわたくし(たち)の大先輩だということになる。
風流人=逸脱する者とは、語を変えれば、非僧非俗、そはたれあらん、「阿弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて」の愚禿親鸞であり、宣長、小林秀雄、中上健次、柄谷行人、諭吉、ガンジー、稲盛和夫、二宮尊徳らの面々。
Oh my goodness
そして「風流」とは、「風」と「流れ」であるとも九鬼周造は語る。これはドゥルーズのスピノザの冒頭「あの人(スピノザのこと)はつむじ風です」を思わせ、「流れ」はドゥルーズの潜勢的な「生成の流れ」に通ずる。
かと思えば、3篇目の「情緒の系譜」では、な、なんとデカルトとスピノザをモロに方法論として使っているではありませんか!!
短歌の分析手法にでっせ。デカルトとスピノザを使っているのだ。老眼過程にある近視性乱視がまん丸になってしまう。
カッコいい。よすぎる。小なる完全性から大なる完全性への移行が善である、まさにスピノザはエチカの世界でござる。
しかも宣長と同様「語義」の確定を、用法例の確認で行うという立場からの、短歌を題材にしての「嬉しさ、楽しさ、悲しさ、嘆き」等々の関係構造の確定、ますます気に入りました。わたしの弱点である短歌鑑賞力強化手引き書でもある。
宣長はこう買いている。
されば諸の言は、その然云フ本の意を考ヘんよりは、古人の用ひたる所をよく考へ
て、云々(シカジカ)の言は、云々の意に用ひたりといふことを、よく明らめ知る
を、要とすべし、言の用ひたる意をしらでは、其所の文意聞こえがたく、又みづからの物を書クにも、言の用ひやうたがふこと也 (うひ山ぶみ)
巻末で多田道太郎は、九鬼周造がヨーロッパ滞在中ハイデッガーを師とし、パリでの家庭教師は無名時代の若きサルトルであったこと、いくつかの失恋の末、祇園の女性を奥さんにしたなどの話を魅力的に語りつつ、本作品への批評も簡潔にしてポイントを押えている。
皆様、いかがでしょうか。買って読もうという気になりました?
あれこれ飛びすぎてなんのこっちゃ、でしょうか。
さらばじゃ。
紙の本
「「いき」の構造」だけでも読むべし
2021/06/02 15:55
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:レノボ - この投稿者のレビュー一覧を見る
難解そうでなかなか買えずやっと読みましたが、わりと入ってきやすい文章だったと思います。
立方体による解説は、読んだこと無くても知っているぐらい有名なものですが、身体表現のみならず、音楽、模様、建築、色彩といった表現においても「いき」を示している(しかも簡潔に)凄い本です。
「いき」の構造の箇所だけでも十分読む価値があるのではないでしょうか。
紙の本
日本独特の精神構造である「いき(粋)」ということについて分析した書です!
2020/05/03 09:01
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、我が国の哲学者、九鬼周造氏の代表作です。同書は、「いき(粋)」という日本独特の精神構造を丁寧に分析し、それが、男女間の「媚態」、武士道における「意気地」、仏教的な「諦め」の三つの要素から成り立っていることを説いた内容です。同書の内容構成は、「序説」、「いきの内包的構造」、「いきの外延的構造」、「いきの自然的表現」、「いきの芸術的表現」、「結論」といった6章からなっています。 日本思想史研究および日本文化論における代表的文献の一つです。同書には、表題作他、「風流に関する一考察」、「情緒の系図」の二編も収録されており、読み応えがあります。
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だれにって 1926年(大正15年)昭和元年の九鬼 周三に
負けたのである 彼の著した「いき」の構造
日本 東洋の精神構造を見事に解している
パリに在住 サルトルを家庭教師としそしてパトロンとして
ハイデッカーに高く評価され ハイデッカーの著書「言葉についての対話でもくわしく論評される伯爵家4男に負けたのである
この本は単なる日本人の精神構造を解した本ではなく
日本人が理化しなければならないビジネス書であり 文化を再興させるための手引き書であることは間違いない
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言わずと知れた九鬼周造の代表作。
「いき」という日本人特有の精神を見事に直六面体に表現し、その構造を関数として示している。
これは人工知能のプログラムにも応用できるでのはないかと思えてくる。
個人的には、構造の数量化の方法までを説いて欲しかった。
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本屋を通りかかって
以前から探していた本を見かけたので買ってしまった。
脳が今は煮えているから頭に入ってこないけれど
まともな時に読み直そう
九鬼周造氏の「「いき」の構造」。
ベルクソンも見かけたけれど今回は食指動かず。
「月の漏るより闇がよい」
よいよなあ。
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女性が書いたのかと思ふ程緻密に見事に感情の機微を表現して居る。屹度耳の良いヒトだつたのに相違ない。ま、本ものヽ女性なら此処迄構造的に分類出来はしないだらうけれど。
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タイガー&ドラゴンのドラマに「粋で乙な男になりたい」というセリフがあり、ずっと格闘しているそう。粋な男、乙な男とは何かを探してこの本を乱読し、出会った人にも聞いているらしい。でもその答えは「今も分からない」と言い、逆にやぼな男とは、と聞くと即答し、「やる前から『できない』と言うこと。『おれは弱いから』とか、逃げどころをつくったりするのは好きじゃないし、そういう男になりたくない」と答えた。そう言える潔さが、准くん的な「粋」なのだろう。
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九鬼周造。岩波文庫。言葉の選択が格好いいとか、文体構造が素敵とか、よりも、気になったのは、解説の部分。
『九鬼周造は、若いとき、ひょっとすると自分は岡倉天心の息子ではないか、そうであったらいいが――と思っていたという伝聞がある。これは確かな話ではない。しかし、九鬼周造の母親、星崎はつ(初子)が岡倉天心と恋愛におちいり、ために周造の父親、九鬼隆一に離別された。これは事実である。』九鬼水軍の末裔の男爵の父の花柳界出身の母というだけで、明治の空気と安易に思うが、恋愛に陥る母を持った子供の心境ってどうなんだろうと思うと、そうなのかみたいな。こういうのって、相手の器量にもよるよね・・・。天心だからそう思ったという面も多分にあるだろうな。。
いずれにせよ、ヴィビアン・リーとかバーグマンとかを、ぼんやりながら「イカス〜」と思うのは、それまでの安全な幸福あるいは維持されることが使命とされた生活を棄てる行為なんでしょう。本書とは話逸れましたな。文章は平易(だと思うが)なので、哲学といえば哲学だけど、言語やら民族やら、少しのぞいている方には周辺書籍として読まれるとよいかと。昨今の江戸ブームつか和物回帰へのアクセントとしても。
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おしゃれ哲学の金字塔。日本を好きになりたい人におすすめ。我々の精神的文化を忘却のうちに葬り去ることなかれ!
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「いき」とは何か。日本人の美意識を論じています。体感的に分かる部分も多いのかな。
音楽においても「浪漫派または表現派の名称をもって総括し得る傾向はすべて体験の形式的客観化を目標としている。(中略)体験の芸術的客観化は必ずしも意識的になされることを必要としない。芸術的衝動は無意識的に働く場合も多い。しかしかかる無意識的創造も体験の客観化にほかならない。すなわち個人的または社会的体験が、無意識的に、しかし自由に形成原理を選択して、自己表現を芸術として完了したのである。」ですって。わかったようなわからんような。わかったふりしとけばいいんです、それが「いき」ってもんだ。本当に理解しているのか聞くの?それは無粋です。
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「いき」とは何か、「風流」とは何か、と著者が考えた本。
「粋」なんてまさに「Don't think, feel!」であって、構造も何もないんじゃ…と思っていたが、図解までされていた。当時の薄い理解では「そうか、恋も必要か…」と思ったような。何年後かにもう一度読み返してみようか
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九鬼周造は、その名前のインパクトで小学生か中学生かから覚えていた人。
「いき」の特性は、異性に対する「媚態」であり、江戸者の「意気地」であり、執着のない「諦め」である、んだそうです。一応哲学書。擬古文ちっくだけどとても面白いです。まじめに恋愛を分析してるとことか笑っちゃうし。
粋な生き方を目指す私としては必読だったかな☆
2007,march
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「いき」日本人に特有の感覚で日本人特有の民族性がよく表れているものだと思う。
その「いき」を分析し、構造を図に表してしまったのがこの本!
ちょっと前半が図の説明を文字だけでしかやっていなかったのでわかりにっかったけど、新鮮だった。
他二編のうちの「情緒の系図」も結構おもしろかった♪
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(2006.04.27読了)(拝借)
昨年、三木清(1897-1945)を久しぶりに読み、先日和辻哲郎(1889-1960)を読み、今回九鬼周造を読んだのですが、いずれも、ハイデガー(1889-1976)の影響を受けているので驚きました。ハイデガーの「存在と時間」は、必読書ということでしょうか?新しい宿題が出た感じです。
解説に「九鬼周造がヨーロッパにいたのは1921年から1929年までである。その間、時間の問題について講演したり、フランス語で論文を書いたりした。パリの哲学界では若い俊秀と認められ、特にハイデッガーには高く評価され、ベルグソン(1859-1941)にも認められた。無名の実存主義者サルトル(1905-1980)のパトロン的役割を果たしたという説もあるが、サルトルが九鬼の家庭教師(フランス語)であった事は少なくとも間違いない。」とあります。サルトルが九鬼の家庭教師をしていたというのはいつ頃のことなのでしょう?
この本には、3つの論文が収められています。「「いき」の構造」「風流に関する一考察」「情緒の系図」です。雑誌に発表されたのは、1930年ですが、「「いき」の構造」が書かれたのは、1926年ということですので、パリ滞在中のことになります。日本的なテーマをパリで書くのも不思議な感じです。
「構造」という題がついています。44頁に立体の図が挿入してあり「いき」に関連する言葉の間の関係を示して説明をくわえています。このあたりが「構造」という題名がついている所以かと思います。
●いきの内包的構造
「いき」の第一の徴表は異性に対する「媚態」である。異性との関係が「いき」の原本的存在を形成している
「いき」の第二の徴表は「意気」すなわち「意気地」である。野暮と化物は箱根より東に住まぬことを「生粋」の江戸児は誇りとした。
「いき」の第三の徴表は「諦め」である。運命に対する知見に基づいて執着を離脱した無関心である。
●いきの外延的構造
「いき」に関係を有する主要な意味は「上品」、「派手」、「渋味」などである。
「上品」は対立者として「下品」をもっている。「派手」は対立者に「地味」を有する。「いき」の対立者は「野暮」である。「渋味」の対立者としては「甘味」を考えても差支ないと信ずる。
派手とは葉が外へ出るのである。「葉出」の義である。地味とは根が地を味わうのである。「地の味」の義である。
日本語の意味、日本的情緒に関心のある方にお勧めです。
著者 九鬼 周造
1888年2月15日 東京生まれ
東京帝大卒業
1921~28年 ドイツ・フランスに留学
京都帝大教授
哲学者
1941年5月6日 死去、享年53歳
(「BOOK」データベースより)amazon
日本民族に独自の美意識をあらわす語「いき(粋)」とは何か。「運命によって“諦め”を得た“媚態”が“意気地”の自由に生きるのが“いき”である」―九鬼(1888‐1941)は「いき」の現象をその構造と表現から明快に把えてみせたあと、こう結論する。再評価の気運高い表題作に加え『風流に関する一考察』『情緒の系図』を併収。