紙の本
映画とその後
2022/09/05 18:50
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
島根県浜田市の官民協働型の刑務所を舞台にしたドキュメンタリー映画「プリズン・サークル」の坂上香監督が、映画の内容に加え、映画に収まりきらなかった場面や、その後の物語などを盛り込んだ一冊。
そこは、刑務所に対する先入観が覆される場所だ。受刑者に、対話に基づく矯正教育を行っている。
しかし刑務所だ。取材できるまでにはさまざまな困難があったようだ。そうした裏話も含め、受刑者教育について考えさせる内容となっている。
冒頭、筆者が次のように書いている。
「『プリズン・サークル』の舞台は刑務所だが、これは刑務所についての映画ではない。語り合うこと(聴くこと/語ること)の可能性、そして沈黙を破ることの意味やその方法を考えるための映画だと思っている」
受刑者同士が少しずつ心を開き、語り合い、やがて幼少期からの出来事を吐露する。いじめや虐待、性暴力などの被害が語られ、そうした傷を見過ごされてきた彼らの姿が見えてくる。
罪を犯した者が罰せられるのは当然かもしれないが、それぞれの背景や社会の構造的な問題も浮かび上がってくる。
日本の刑罰の在り方(法制度)についてだけでなく、日本社会の文化についてまで考えさせる良書である。
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2008年に「新しい刑務所」として開所された「島根あさひ社会復帰促進センター」で行われているTC(回復共同体)という更生プログラム。それは、受刑者同士が互いの話に耳を傾け本音で話し合いながら罪と向き合う。
日本で初めて刑務所内での長期撮影を行った模様が映画化された『プリズン・サークル』(坂上香監督)の書籍版。映画で登場した彼らの「その後」を知れ、罪とは、罰とは、更生とは何か?ということを問いかけてくる。昨年、映画を見ましたがその衝撃が大きく、このように書籍化され冷静に自分自身に向き合えました。
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そもそも刑務所の仕組みについて、ほとんど知らない、というか気にかけたことがなかったことに気が付く。そのため、このような更生プログラムが行われていることにいい意味で衝撃を受けた。しかも、本書に出てくる受刑者たちの生い立ちや家庭環境も壮絶だ。そんな受刑者たちが、徐々に心開いていく様はとてつもなく読み応えがあり、固唾を飲んで読み進めた場面も多かった。
もちろん前進する受刑者もいれば、後退するもの、変わらないものもいる。本書には、更生プログラムを軸に、刑務所の在り方、厳罰化の流れ、地域や社会とのかかわり方、様々な問いを発している。どれも自分たちのことでもあるのに、あまりにもこうしたことに無知だったことに気が付かされた。自分の知らない未知の世界について、考えるきっかけをくれるノンフィクションならではの読書体験だった。
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出版のタイミングで期間限定の配信があり、同名の映画と監督のトークイベントを先に見たのが大正解。このふたつはそれぞれ完成された作品なのだけど、併せて鑑賞することで見えてくるものが立体的になってくる。個人的な傾聴経験からも、社会には「安全に語り合える場」が必要だと常々感じるところでもあり、「今ここ」で、自分にできる事を続けたい。
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7/22
今日読み始めたばかり。プロローグ終わって一章駆け出しのところ。まずはじめの問い「傍観者とは?」
私は「この人に対しては私は傍観者」「でもこの人はnot傍観者」のように人によって使い分けていると思った。例えば電車の中で見るマナーの悪い人、傘の持ち方が悪い人、そんな人にいちいち立ち止まって声かけて注意して……なんてやってられない。別に一瞬すれ違った人が自分に危害を加えなければどんな行動をしても関係ない、そう思う。これは完全に傍観者
次に私の家族が、友達が同じことをやっていたら私は絶対に注意すると思う。
こうやって自分の身の回りにいない人に対して傍観者が増えた結果が「沈黙」なのだとも思う。
でも私はこうも思う。いままでどのように生きてきたかもわからない、数秒前に会った人に急に注意をされたら果たしてアッサリそうなのですね。と引き下がる人は何人いるのだろうか。電車内で喫煙をしている人に対して注意をした男子高校生が重傷を負った事件もある。
自分の身は自分で守る。そのために当たり障りのいいことしか言わない「沈黙の人」が多いのではないだろうかしら。
現代の人はインプットに忙しく物事をよく考えることをしなくなったと思う。
7/26
怒りで解決しようとすること。怒りで空気を変えて相手の出方を変えようとすること。
犯罪を犯した人だけではなく周りに結構いると思う
そう考えると犯罪を犯した人も私たちとはよほど変わらないのかしら
7/29
周りに頼れる人がいないこと、自分を受け止めてくれる人がいないこと。それが犯罪に後々繋がっていくんだな。
実際に毎日逮捕が続いてて虐待や殺人、詐欺など今まではたまたま被害者になってなかっただけで次は自分かも。
加害者を減らしたいけどどうしたらいいか分からない
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「サンクチュアリ」
「自己開示」
「対話」
「自己責任」
「厳罰化」
「加害者と被害者」
「理念と現実」
自己開示なんて、僕にはとても難しい話。だけど、どこかでそれを求めている自分もいる。ネットの世界では、自分の考えていることを「本音のように」話すことはそれほど難しくなくできるのだろうけど、現実には「本音のように」話すこともままならない。
自分を受け入れてくれる場所、仲間、環境。サンクチュアリをつくっていくのは誰なのだろうか。
話の舞台は「塀の中」だが、世の中の至る所で、サンクチュアリを求める人はたくさんいるんだろうな。
涙が溢れそうになっては、乾き。
感情が高ぶっては、低まる。
自分の思いがぐちゃぐちゃになっては、整頓されていく。
本では掴み取れなかった主人公たちの想いに、もっともっと触れたい。
映画が観たい。
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怒涛の5冊買いの3冊目は、プリズン・サークルです。
私たちもまた、泣いているあの子を見捨てた加害者のひとりではなかったか?人はひとりでは罪に向き合えないのです。
埋もれていた自身の傷に言葉を与えようとする瞬間、償いとは何かを突きつける仲間の一言。圧巻のノンフィクションです。
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島根あさひ社会復帰促進センターという、犯罪を犯した男性たちを収容する刑務所がある。
そこの画期的な更正プログラムを撮ったドキュメンタリー映画『プリズンサークル』の十年に及ぶ撮影秘話と後日談が収められたノンフィクション。
犯罪を犯す人間はどういう環境で育ち、どういった思考を持ち、どうやって罪を犯してしまったのか。
彼らが語る、信頼できるはずの大人からの虐待、周囲からのいじめの被害、自身の加害体験に暗澹たる思いがした。
暴力は連鎖する、とはアリス・ミラーの言葉。
犯罪の加害者たちに与えられたのが暴力ではなく、ぎゅっと抱きしめる愛情深い手だったら、と思わずにはいられない。
みなさん、よくぞ話してくれました。
坂上さん、よくぞ書いてくれました。
塀の向こう側にサンクチュアリ(安心できる場所)を作ることができたんなら、塀のこっち側にも作れる。
それにはこっち側の許容と理解が必要だ。
読み終わったあと、あらためて、帯の教育学者の上間陽子さん(『海をあげる』)の言葉が突きつけられる。
「私たちもまた泣いているあの子を見捨てた加害者のひとりではなかったか?」
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矯正施設の民間委託は4施設。報道されるとき罪状、刑期を知ることになっても、刑務所での更生プログラムを知る機会はない。民間委託施設のTCプログラムの中で語られる加害者の話からは、貧困、DV、出生など、あらゆる社会問題が透けて見え、助けを求める手段も分からない状況だった様子が伺えました。世間と隔離されたところで、矯正する効果が疑わしく思えました。
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表題作の映画が公開されたらしいことは何となく知っていた。今年になって本書が刊行されて、ああ『ライファーズ』の坂上さんか、と気づき読んでみることに。(『ライファーズ』を読んだのは4、5年前かなあ、と思いながら本棚を検索したら…もう10年近くも前だった!びっくり。最近、時間の感覚が実際より短いことが多くて…分母となる時間が伸びたせいかなとやや自虐的に思い返しつつ。汗)
昨日、刑法が115年前に制定されて以来、初めての改正案が成立したらしい(正確には、成立の見通し、だったか)。懲罰ではなく更生を軸にするという。私個人としては、ようやく、という思い。SNSなどでは、何かと自己責任、犯罪には厳罰化の声が多いように思うが、はっきり言ってそれでは効果がないことは、様々な検証からほぼ間違いないといわれている。再犯してしまう人の多くが、出所後の支援がほとんどないために社会から排除されてしまい、社会での受け皿がないことが再犯に走る大きな原因である。そのことが社会に浸透していない。犯罪を防ぎたければ、社会で彼らを受け入れる土壌、意識、包摂の文化が不可欠なのだ。加害者に税金を使う前に被害者救済だろ、という向きもあるが、もちろん加害者の更生に向けた施策と同時に、あまりに希薄な被害者救済の手立ても進めていく必要もあるだろう。加害者がいれば被害者もいるのだから、どちらにも手を差し伸べなければ、本当の意味での問題解決には至らない。
そのためのひとつの方法として、修復的司法の取り組みがあると思うが、思いがけず、そこに話が広がっていた。以前から興味を持ち書籍などをあたっていたが、海外では1970年代から取り入れられている手法という記述が本作中にあった。30年くらいの歴史があるものと思っていたが、そんなに以前からある考え方だったとは。死刑制度の存続を支持する人が多かったり、自己責任論、厳罰化の流れが強い日本がいかに遅れているかを改めて痛感する。
今は包摂の時代。共生、多様性を実現したいなら、過度の自己責任論、個人への責任の押し付けは排除を生むだけだと、皆が理解しなければならない。
本書に登場する「犯罪者」たちが、犯した罪と向き合い、自分自身と向き合って、彼らが経験できてこなかった「人とのつながりの中で、自分も相手も尊重しあう」体験は、彼らを生き直させる。更生し人として成長し「被害者」や「被害者家族」からも応援され、社会で役割をもって暮らしている姿に涙がとまらなかった。
すべての人が同じように変われないかもしれないが、変われる人もいるのなら、それは取り組む価値がある。結局は、彼らの更生は、私たち社会に返ってくる。
みんながそう思えるように、社会が包摂の概念を受け入れられるように、地道に進んでいくしかないのかもしれない。
筆者によると、施設での職員の入れ替わりに伴って、島根あさひでの取り組みは本作が書かれたころに比べて、活動の様相が変化して弱くなっているらしい。なんとも残念なことだ。ぜひとも続いていってほしいし、ほかの更生施設でも取り入れてほしいと切に願う。
そして本作を通して強く思ったのは「話す」ことと「話を聞いてもらう」こと、対話の持つ力だ。修復的司法や精神療法としてのオープンダイアローグ、メンタライゼーションや依存症の自助グループの活動、そしてこの島根あさひでの取り組みなど、やり方の多少の違いこそあれ、対話が人を癒し対話が人を変化させている。ベースとなるところはどれも同じで、そのどれもが、人の中でその人がそのまま受け止められることで、人を癒しているということ。
つまるところ、実はその人自身にはちゃんと回復する力があって、その力を引き出すのは、その人を丸ごと受け止めてくれる誰か、なんだよなあ。
犯罪や精神疾患に限らず、虐待だったりDVだったり生活困窮だったり、社会の中にある解決すべき課題は、どこかの時点で、その中の誰かが、人とのつながりの中に入ることができたら、きっと何かが変わるはずなのに。
社会的な孤立や排除は、社会の問題を弱者に押しつけているにすぎない。人は人の中でしか癒されない。
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受刑者が互いの体験に耳を傾け、本音で語り合う、そんな更生プログラムを持つ男子刑務所がある。そこで2014年夏から2年間、出所後の取材を含めると5年余り監督としてカメラをまわし、2020年に映画として公開した著者の渾身のノンフィクション。
舞台は島根あさひ社会復帰促進センター。日本で4つしかないPFI刑務所のひとつで、ドアの施錠と食事の搬送は自動化され、ICタグとCCTVカメラが受刑者を監視するなど、従来の刑務所にないシステムが取り入れられている。
著者が取材したのは、ここで実施されているTC(セラピューティック・コミュニティ)と呼ばれる更生プログラム。受刑者同士の対話をベースに犯罪の原因を探り、更生を促すことを目的としている。受刑者は犯した罪だけでなく、幼い頃の貧困、いじめ、虐待、差別などの記憶をたどり自らの感情に向き合い、それらを表現する言葉を獲得していく。これはエモーショナル・リテラシーと呼ばれ、感情の読み書き能力を鍛えること。そして、隠してきた辛さや隠されてきた恥をグループの中で明かし、サンクチュアリ(安心できる場所)としてグループ全体がそれを包摂するというもの。「暴力を学び落とす」ことにもつながる。日本の刑務所を特徴づける沈黙とは真逆の「対話」をキーワードに受刑者の人間的な成長を目指し、ひいては再犯防止に繋げようという取組だ。受刑者の再犯率が高いということは、これまで頭にインプットされていたが、今後、再犯防止へのTCの効果が広く認められ、定着していくことを願いたい。また、子どもの頃に受けたいじめ、虐待、暴力で無力感が身に付き、それが自分より無力な相手に対する暴力を振るうようになるという連鎖についても強く胸の中に残った。
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PFI刑務所の一つである島根あさひでの長期取材のとても貴重な記録。
精神科治療でオープンダイアローグという手法が最近採られていると聞いたけど、それにかなり近いことが行われていると感じた。少しでも、いい方向に働くといい。
当事者性との間で揺れ動く取材者の思いもとても印象的だった。
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語ることで自分の感情を認識することを感識。それを理解出来ないことを感盲。自分の子供の頃から今までTCの様に他人と語り合って自分の感情を知るということをどれだけしただろうか?
親からの虐待、友人からのいじめ等が被害者の感情を押し潰し、あろうことかその辛い経験を自己防衛から自分の経験から抹消するも、その負の経験が連鎖し、被害者が加害者になり、また、今の刑罰制度が懲罰の下にある意味、加害者への加害行為をしてしまう実態があること。
被害者の立場から加害者に懲罰を求める感情は、自然な感情であろうと思うが、加害者が加害行為をした背景に踏み込み、思いを至らすと別の処罰の文化があり得るべきとの本書の主張も理解出来る面がある。
戦争での加害、被害も同じ面があるのではないだろうか。色々新たな気づきがありました。
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アミティ(Amity 友愛)
TC(Thrapeutic Community 回復共同体)
サンクチャリ
「島根あさひ社会復帰促進センター」の概略は何年か前にテレビて放映されたものを見た、画面上はぼやかしていた、先進的な刑務所施設という内容だった様に記憶している。
TCユニットと言う閉ざされた世界での取組み、訓練を受けた人は幸運だったと思う。
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5月に本を開いたが、中断ののち、9月から再開してようやく読了。「学び」が多く、一度にはまとめられない。改めての機会を待ちたい。