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商品説明
先史時代に花開いた洞窟壁画から、西田幾多郎・田邊元が大成したヤポネシアの哲学まで、人類に発生した「心」の起源に迫る野生のサイエンスの全体像を提示。人文諸学の再構築を目的とした芸術と人類学の創造的な融合。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
中沢 新一
- 略歴
- 〈中沢新一〉1950年山梨県生まれ。東京大学文学部卒業。多摩美術大学美術学部教授、芸術人類学研究所所長。「対称性人類学」で小林秀雄賞、「フィロソフィア・ヤポニカ」で伊藤整賞を受賞。
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紙の本
これからの世界をどう再認識するかという方法論
2007/02/07 21:58
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る
中沢新一の著書を読んでいつも感じるのは、「何が書いてあるのかさっぱり解らないのに、凡そ何が言いたいかは確実に掴める」ということだ。
この本にしても、よくもまあここまでいろんな分野の学問を横断的に関連づけて、なんとなく体系的な書物にしてしまうもんだと感嘆はするものの、それぞれのページに書いてあることが1つひとつ理解できたかと言われれば全く心許ない、と言うより寧ろちんぷんかんぷんに近い。もちろん中沢新一を理解して支持するにせよ批判するにせよ、そこでは少なくとも中沢新一と同等の読書量(必ずしも同一の書物を読んでいる必要はないが)と思索と検証が求められる訳で、そうなると我々一般人にはとても手を出せない書物ということになる。それでも読むのは、彼の著作が決して単なるちんぷんかんぷんで終わることがなく、一知半解であってもやっぱり面白いからである。
それは考えすぎじゃないの? うーむ、すごい深読みだ。でも、やっぱりこじつけっぽい。いくらなんでもそんなことはないだろう?──読みながらそんな風に思うことがたびたびあるのだが、でも一方で、ここまで学際的な分析は極め付きの知の遊びであり、読者の脳に与える刺激の大きさは計り知れない。この刺激の強さこそが面白さの本質なのだと思う。
僕が彼の分析を読んで思うのは、中沢新一が示したかったのは、「あれとこれが結びついてそれがこうなったから今の世界がある」みたいなことではなく、世界というものをそういう風に俯瞰的に捉えようという決意表明なのだと思う。それは歴史の分析ではなく、これからの世界をどう再認識するかという方法論を示したものなのだと思う。
だから僕は彼の書く1行1行を正しいとかおかしいとかいちいち考えたり指摘したりする気にはならない。多分それくらいの大らかさがなければこの本は読み通せないと思う。
世界は意外に繋がっているのだ。だから小さな部分に視点を集中してはいけない。「今」の全体像と「今」に繋がる流れを俯瞰的に捉えなければ、現代社会の閉塞感は破れないのではないだろうか?
やたら難しいこの本から僕が得たエッセンスはせいぜいそんなところだ。全然的外れなこと書いてるのかな? でも、それでも良いような気がする。面白い本だった。
by yama-a賢い言葉のWeb
紙の本
内容紹介
2006/02/14 10:41
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みすず書房 - この投稿者のレビュー一覧を見る
芸術人類学とは、数万年に及ぶ長大な時間の堆積によって形成された人間の心を探求するための新たな方法である。この試みが目指すものは、さまざまな論理矛盾を自らのなかに含みこみながらも、それをさらに高次の全体として統合する「対称性」という知性の働きに直結した一つのサイエンスの創出である。『カイエ・ソバージュ』や『アースダイバー』で知られる宗教学者・中沢新一が、人類学・民俗学・考古学・歴史学など人文諸科学を総合し、ここに前人未到の表現空間を切り開いた記念碑的な書物、待望の刊行。ここからこそ新世紀の学問が始まるだろう。
紙の本
職人が奏でる抽象の協奏曲
2006/08/16 22:11
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
中世の職人歌合に、学者と芸者が並べて描かれているのを宗教学を学ぶ甥に見せて、網野善彦がこう語った。
「ほうら、学者も芸者みたいに、正確にものごとを認識したり、表現したりできないとだめなんだぞ。芸者は正確に芸ができなくっちゃあいけない。天皇だってそうだ。天皇は儀式をおこなう職人だというのが、長い間の日本人の認識だったんだよ。その職人技を手放してしまうと、いったい天皇にはなにが残るのだろう。職人技の基礎のない学者は、いずれ政治家かジャーナリストになっていくしかないだろう。それと同じように、よい和歌を詠み、宮中の儀式を正しくおこなえる職人としての技量が、天皇にも必要だったわけさ。君も学問を志すならば、まず何かの職人にならなくちゃあいけない。そうでないと、なにも生み出せない」。
宗教学を学ぶ甥というのは著者のことで、この話は本書に収められた「友愛の歴史学のために」に出てくる。ちなみに著者は、職人技(たとえば、歴史学者にとっての古文書解読の技術)と並んで学者の創造力にとって必要なものは「抽象力」であると語っている。
「「人民」という概念が、戦後の新しい日本の歴史学を開いていきました。しかしそれがほんとうの意味での「民衆史」となるためには、網野さんによる「非農業」という新しい構造層の発見が必要でした。それを発見するには、たんなる実証的な研究を超えた、ある種の抽象力がなければなりません。「非農業」という概念は、たんに職人についての実証的研究を積み重ねていけば、自然にあらわれてくるようなものではないのだということを、私は強調したいのです。あらゆる創造的な学問は、新しい概念の発見が生み出してくるものです。そういうことはめったにはおこりませんが、網野善彦の学問には、それがおきたのです。」
新しい概念を作ること。「新しい認識が新しい生き方の創出に結びついていけるような」新しいサイエンスを創造すること。本書は、そのような中沢新一の学問(未完の「芸術人類学」)へ向けられた十二のスケッチ集である。レヴィ=ストロースとジョルジュ・バタイユ。バイロジカルな野生の思考と非知。宗教理論と唯物論。コーラとイデア。精神と自然。物質科学と人文学。古論理とマトリックス論理。メビウスとトーラス。これらの二つの論理、二つの極の中間領域で奏でられた美しい協奏曲である。
紙の本
知の疾走についていけるかどうか・・・
2006/06/06 23:57
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:JOEL - この投稿者のレビュー一覧を見る
『アースダイバー』で、ひさびさに中沢新一氏に魅了されてしまった私は、迷わず新刊の『芸術人類学』を手に取った。もう一度、中沢ワールドに酔いたくなったからである。
しかし、私はいともたやすく跳ね返されてしまった。『芸術人類学』は硬派の書であったのだ。思えば、出版社はみすず書房である。そんなに容易に読みこなせるものをみすず書房が出すはずがない。これまでにバタイユ、レヴィ=ストロース、西田幾多郎などの思想を曲がりなりにもかじったことのある人でなければ、本書を読み解くのに苦労するだろう。
それにしても、「対称性人類学」で新境地を開いたばかりの中沢氏が、あいだを置かずして、「芸術人類学」などという造語をする必要はなかったのではないか。この2つの言葉はほとんど同義語の言い換えのようなものだ。
われわれ人類は、1万年も前に形成された思考の体系に今も立脚しているという。現代人の政治的思考や科学的思考でさえも、実は基本的な思考の構造はそのころに形成されたものと変わりないというのだ。そうか、現代人は直線的な歴史の流れの中で、ひたすら進歩を続けてきた、特に、情報化時代の今は日進月歩の変化を遂げているとばかり思っていたのが、そうではなかった。そのことを、例えば、中沢はラスコーの洞窟の壁画から想像力を膨らませて、説得してみせる。
ここで、上手く説得されるかどうかが中沢ファンになれるかどうかの分かれ目だ。古代から現代までのありとあらゆる知恵のつまった脳細胞をめいっぱい働かせて、繰り広げられる中沢ワールドの中で上手く踊れるかどうかが大事になってくるのである。知的なトレーニングに耐えられるタフネスさと、容易に他者に心奪われてしまうあやうい受動性を合わせ持った人が本書を楽しめる人であろう。
そこまで知的なトレーニングには耐えられないという人には、『アースダイバー』の方を強くおすすめする。こちらは、一般の人に向けたサービス精神旺盛なエンタテイメントの書である。一気に読み進めるのも難しくはない。
ただし、『アースダイバー』も『芸術人類学』も、その基底に流れる知の疾走状態は同じである。学術的な体裁を整えている分、本書は硬いだけである。
中沢氏の花火が散るような知の疾走についていけるかどうか、読み手の技量が鋭く試される書である。もっとも、本書はあちらこちらで過去に発表された文章や講演録の寄せ集めであるので、気に入った章をつまみぐいするのでもよいのだが。
それにしても、1万年の時を超えて、野生の思考に立ち返ろうとする中沢の知のほとばしりは熱すぎる。