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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2001.7
- 出版社: みすず書房
- サイズ:22cm/271,44p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-622-03204-X
- 国内送料無料
紙の本
文化と帝国主義 2
帝国への抵抗、遡航、そして解放の文化へ−。ポストコロニアル時代の課題を、心をこめて語る。フォースター、イェイツ、ファノンなどの作品を「対位法」的に読み解いた論考。【「TR...
文化と帝国主義 2
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商品説明
帝国への抵抗、遡航、そして解放の文化へ−。ポストコロニアル時代の課題を、心をこめて語る。フォースター、イェイツ、ファノンなどの作品を「対位法」的に読み解いた論考。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
エドワード・W.サイード
- 略歴
- 〈サイード〉1935年イギリス委任統治下のイェルサレム生まれ。プリンストン、ハーバード大学等で学位取得。コロンビア大学教授。著書に「オリエンタリズム」「始まりの現象」など。
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紙の本
ポストコロニアル派の文学批評!
2004/12/18 14:57
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:shakti - この投稿者のレビュー一覧を見る
サイードの主著であるが、この本に対して、知識人論だとか、帝国
主義イデオロギー批判のようなものを期待すると、当てがはずれる
だろう。この本の中核となるのは、著者の専門である文学批評なの
だ。文学や文学批評に関心がない人は、手を出さない方が無難であ
る。それに、政治的批評家としてのサイードは、必ずしも第一級の
人物であるとは言えないからだ。
サイードが、この本で、しばしば強調する議論のうちで、たいへん
興味深いのは次の二点である。一つは、他者との出会いにおいて、
超客観的なアルキメデス的な梃子の支点は存在しないと言うこと、
利害や葛藤から自由な特権的解釈者はいないと言う点である。文学
者を含む現実の観察者は、権力の後ろ盾を頼りにしたりしながら、
初めて存在が可能になるのだ。サイードがコンラッドの『闇の奥』
とキプリングの『キム』に賞賛を惜しまないのに、同時に批判する
のは、そういう視座があるからなのだ。また、あれほどまでにナイ
ポール文学を非難するのに、その才能を買ってしまうのも、我々が
矛盾のただ中でしか他者と出会うことができないことを、よく知っ
ているからだろう。もう一つは、帝国主義に抵抗するのは当然だと
しても、土着主義には未来がないという信念である。本書では、ア
イデンティティの観念自体が帝国主義の産物であると力説されるこ
とになる。
『文化と帝国主義』がポストコロニアルの文学批評のバイブルだと
言われるのも、こういった論点と大きく関わっているように見える
。歴史学の「帝国意識」の研究とは異なって、素晴らしい芸術の中
にただ中に、帝国主義を見いだそうとする矛盾に充ち満ちた試み、
そして、脱民族主義の観点から帝国主義を批判しようとする視点だ
と言い換えることが出来るだろう。
紙の本
ナショナリズム批判を第三世界に対しても行う著者の姿勢を評価すべき書物
2005/07/22 13:08
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:越知 - この投稿者のレビュー一覧を見る
サイードの主著『文化と帝国主義』第2巻について、以下評価を試みる。
結論から言うと、第1巻よりこの第2巻の方が内容的に優れている。ここでは第1巻と違って、文学作品に限らない文化状況全般を政治との関わりで分析しているのである。記述法はあいかわらずゴタゴタしており、章ごとの内容の重複も多いが、著者の一貫した姿勢が読みとれて、その志を支持したくなるのである。
一貫した姿勢とは具体的には何か? ナショナリズム批判である。著者は一方でアメリカの他国干渉主義を非難し、ヨーロッパにもいまだに価値観において帝国主義が根強く残っていることを指摘しつつも、同時にイスラムやイスラエル、そして第二次大戦後に欧米のくびきを逃れて独立した第三世界諸国のナショナリズムを様々な側面から手厳しく批判している。
ネイティヴィズムやネグリチュード——つまり現地人にしか現地の問題は分からないし現地の文化は先進国の文化とまったく相容れないという偏狭な考え方は、現在では先進国よりむしろ第三世界に強く浸透しているのだが、サイードはそうした観念が他国との自由な交流の妨げになるばかりか、国内の特権階級の温存につながり、形の上では独立国家となっても、植民地時代に抱いていた大きな期待と理想をかなえることができないまま、未熟な国家の形成に行き着いてしまうのだと繰り返し述べている。
私は、この点でサイードと少し違う考えを持っている。たしかにナショナリズムは行き過ぎるとマイナス面が大きくなるが、新興国家の場合には国内の秩序を維持するのに寄与するし、また国民の自由と平等という観念とも矛盾しないことは、大革命直後のフランスや明治維新後の日本を見ても明らかではなかろうか。また、新興国家では国内の秩序維持のために政治的に或る程度の強圧が存在するのはやむを得ない場合があり、秩序の維持によって経済力などが向上すれば自然に民主的な体制に移行するケースも見られるのである。韓国がその好例だろう。
しかし私がここでサイードを評価したいのは、彼がナショナリズム批判において一貫した姿勢をとっているからだ。先進国の知識人はかつて自国が第三世界を支配していたという道徳的な負い目から、そうしたナショナリズムのマイナス面に目をつぶりがちになる。日本の左翼系知識人にも、日本のナショナリズムには過敏に反応するくせに、中国や韓国のナショナリズムには点が甘くなる傾向が見られる。
サイードはそうしたダブルスタンダードとは無縁である。先進国であれ第三世界であれ、容赦なく俎上に載せる。フランツ・ファノンを初めとする第三世界のすぐれた知識人たちは、一方で宗主国の抑圧と偽善を批判したが、しかし同時に現地人たちの行動や思念を無条件に肯定できないという苦渋を正直に告白していた——サイードは本書でこの点を幾度となく強調している。それはサイード自身が、この『文化と帝国主義』という大著を書きながら際会した矛盾と苦渋に他ならないのであって、その矛盾から目をそらすことなく、先進国の帝国主義(いまなお国際政治体制やメディアの寡占によっておこなわれている)と第三世界の偏狭なナショナリズムを共に批判し続ける彼の姿勢は、リオタールを否定していまだに知識人の職務はあるのだとする彼の主張を、いわば「言行一致」的に裏打ちしていると言えよう。
紙の本
帝国主義の根源としての「文化」に焦点を当てた、文化帝国主義研究の「聖書」
2001/10/24 22:16
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:佐々木力 - この投稿者のレビュー一覧を見る
9月11日の同時多発テロは世界に大きな衝撃を与えた。パックス・アメリカーナのもとでの経済の象徴である世界貿易センターはもろくも瓦解し、ペンタゴンにもハイジャック機が突入した。威信が丸つぶれのアメリカは報復戦争に沸き立っている。イスラーム原理主義が「聖戦」の遂行をうたえば、その論理をまったく裏返したかのように、アメリカも「聖戦」で応えようというわけだ。ジョン・レノンの国際的友愛の歌である「イマジン」は放送自粛曲に指定されているという。小泉首相は早速、ブッシュ大統領の戦争政策への支持を打ち出し、日本は戦後最大の転換期を迎えようとしている。
が、こんな時こそ、時流に流されず、数百年の歴史を省み、事件発生の原因解明の根源へと探究を進めるべきではなかろうか? 巷間では、S・ハンチントンの『文明の衝突』がひもとかれているらしい。けれども、この書すら事態の根源を穿った本とは言えない。アメリカ的正義を絶対視する価値観が濃厚だからだ。もっと学問的で、じっくりとひもとくべき書物が、この度、全2巻の邦訳書が完結したサイードの『文化と帝国主義』であることに疑問の余地はない。
サイードはアラブ・パレスチナ人にして、アメリカ国籍をもつ、稀有の批判的精神の持ち主である。彼が欧米帝国主義の支配の道具として、とくに焦点を当てるのは、文化、とりわけ文学である。帝国主義は軍事や経済でのみ成立しているのではない。根源には人間の精神の根底にある文化がある、とサイードは言いたいのである。西欧の優位は、この数百年の現象である。その優位を当然のように説く文学の成立から、優位に抵抗する黒人たち、たとえばジェイムズやフォノン、の文学へと、筆はごく自然に進行する。このような冷静な歴史認識からこそ、未来が生まれることを私たちは知るべきだ。サイードの文学を中心とした議論は、今日では科学史的探究へも進められている。
ニューヨークにあるコロンビア大学の教授であるサイードの講義は、イスラームへの呪詛のため、妨害にあっているらしい。日本人はもっと冷静に東西文化双方に顔を向け、おぞましいテロリズムの真の根絶へと踏み出すべきだろう。 (bk1ブックナビゲーター:佐々木力/東京大学教授 2001.10.25)