紙の本
すばらしい本です
2001/07/19 23:29
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投稿者:匿名 - この投稿者のレビュー一覧を見る
実にすばらしい本です。人類の歴史をコミュニケーション技術の変化という切り口から捉え、詳細に分析しています。コミュニケーション技術が変わったとき社会がどのように変化したかを詳細に説明してあります。
現在コンピュータ技術の進歩により情報処理の速度が飛躍的に増加しています。これも一つのコミュニケーション技術の変化です。この変化を人類の歴史という大きな流れの中で捉えるなら、本書を読んでコミュニケーションとは何かということを適切に捉えることが必要でしょう。
紙の本
日本語の「メディア」とはニュアンスが違うんだそうで。
2015/08/26 01:43
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投稿者:色鳥鳥 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ここで述べられている「メディア」は「人間の開発する技術いっさい」のこと、だそうです。タイトルとカバーデザインから、マスコミュニケーションと映像のみ、論じているイメージが強い本書、実際は広義の都市論といった雰囲気の1冊。非常に面白い。「すべての技術は人間の能力の拡張である」という考えを基調として、アルファベットの誕生や活版印刷の登場、エレクトロニクスの発展が、主に西洋社会にいかに影響を及ぼしたか、今後どうなるのか・・・を、交通や都市環境の変遷、なにより当時はまだ想像することの多かっただろう、来るべき情報社会の問題点を、思いがけない切り口から説く1冊。
難点といえば、冒頭に著者本人が書いているとおり、書かれた頃から時代が変わってしまって、本書におけるキーワード「熱い」「冷たい」・・・ホットとクールに含まれる意味が英語ですら、大いに変わってしまっていること。さらに著者の述べる意見と、日本語の「熱いメディア」「冷たいメディア」イメージとは、重ならない部分があったり、さらにさらに、個人的に納得しにくいこともあるのです。たとえば「テレビが冷たいメディアで、映画が熱いメディア」という区分は、私には最後まで、呑み込みにくかった、
あくまでも著者の定義として「熱い」「冷たい」があると理解しておくべし。読みやすくはないけれど、良書です。
紙の本
メディア学を学ぶ第一歩
2016/02/24 23:25
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投稿者:じょー - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトル通り、メディアを学ぶ人の最初に読んでおくべき本だと思います。
今では当たり前のことも当時の感覚からだと画期的なものばかりで書かれていると想像しながら読んでいくとおもしろいですよ。
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「メディアはメッセージである」と始まるこの本。今は辞めてしまった会社の同期がマクルーハンについて熱く語っていたので借りてみたが、さっぱり分からず。もっと本腰を入れて読むべき本だと悟る。というわけで、詳細は語れず。
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メディアは身体機能の拡張。
自動車は足であり、コンピュータは脳である。なにげない道具に対して意識が変わる。
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「メディアはメッセージである」メディアとは、人間のからだを拡張したものだ…といった内容の話らしい。ゆっくり読みます。
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あんな昔にメディアのことを考えているなんて凄いよ、この人。
表紙が英語なので洋書を読んでいる人のように見られます。
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大学3年の頃、ゼミで使った本。定価で買うとかなり、高価だが
偶然古本屋で2100円で買う。ラッキー☆
いろんなヒントがつまってる。
買わなくてもいいから、図書館だ借りるべしー
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大学院に入るときに、ゼミの先生に絶対よめ!といわれた。
高かったけど、これを読まなかったら世の中の見え方が全然違っていたと思う。
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彼の本によって、テレビとかラジオとかいろんなメディアを、人間がどう用いて、そしてそのメディアによって、どう変わるかということを学びました。
僕のメディアへの興味にとても影響を与えた人です。
僕にとっては、ソクラテスやプラトンの話と同じで、マクルーハンのメディア論が哲学といってもいいかもしれません。
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メディア関係、マスコミに進みたいひとは必須の一冊。
テレビやラジオだけでなく、あらゆるものをメディア(媒体)と考えると、世界の見方が変わります。
マクルーハンさんがちょっと偏屈で好き。
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メディア論の古典的書物。
約20年ぶりに読み返しましたが、案の定内容の大半は失念していました。(覚えていたのは全ての技術は我々の身体の拡張である、という件だけ)その分、半世紀前に書かれたとは思えないほどの先見性に改めて驚いた次第です。
一方でこの非常に読みにくい書物から、その先見性とは何であったかを再考してみるに、ひとつはこの本が「メディア論」という形式を規定してしまった点にあるように思えます。
マクルーハンはメディアを論じるに当たって、彼がメディアと考えているもの(話しことば、書きことば、・・・ラジオ、テレビ等々)に対する評論の集積と、それらの相対によって描き出していますが、そのことはメディアの裾野の広がりと特性を過不足なく捉えています。逆に言えばそのような形でしかメディアは捉えきれないということなのでしょう。
もうひとつは、この論が膨大な書物・映画・論文などの参照によって作られている点です。現在であれば「サンプリング」という言葉を与えられるであろうこの手法は、メディアの特質のひとつである、「オリジナルの不在」を図らずも描き出していると見るのは見当違いでしょうか?
いずれにしてもこのマクルーハンの労作が、いまなお多くのメディア論に引用されている点から見ても、今なおその古典的原点としての輝きを失っていないと言えるのかも知れません。
ただし、読むのにはものすごく根気が必要。で、得られるものは???という正直な感想を最後に記しておきたいと思います。
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G.グールドなど多くの著名人が愛読した超有名な本ながら、図書館には置いてないし本屋でも見かけず、ずるずると読まないまま40歳になってしまった。そうしてやっと購入し、読んでみた・・・が、これはもっと早く読んでおくべきだった。
卓抜な指摘が随所にあって、読んでいて興奮した。
マクルーハンのすべての意見に同意できないとしても、これだけの知見にわくわくしないわけにはいかない。
機械や、電気的情報ネットワークを「人間の諸器官の拡張」と見なすのだが、マクルーハンの言う「人間」の定義がよくわからない。一人一人の個人ではなさそうだが、それは共有された感覚を備えた集合的な「人間」のことなのだろうか。
疑問は残るが、社会を論じる前に、是非誰もが読んでおくべき1冊だ。
今頃やっと読んで、自分は恥ずかしいなと思う。
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副題が「人間の拡張の諸相」とあるように、身体能力、認知能力を拡張するものとしてメディアを捉えている。
全体としてサイバネティクス的な雰囲気が漂う。
半世紀も前にメディアにについこれだけの考察ができたとは。
ネットも携帯もないそんな時代のものとは思えないほど現代に通じる。
とはいえ、マクルーハンの議論はあまりに多岐に渡り体系化できていない。
学術的というには散文的。
その中の一部に現代に通じる内容が含まれていたとしても不思議はない。
マクルーハンが語っていないこと、マクルーハンの考察と現代とで異なることこそが問題なのだろう。
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ここ1,2年、HPやブログで自身の考えをアウトプットする中、「メディアってなんだろう」と思い読まねばと感じた本。いつになるかは分かりませんが、読んだら感想を書きます(笑
原書の冒頭も楽しく読めるようで、そちらも手に入れたいですね。