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紙の本
形式についての批評
2023/03/13 03:08
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投稿者:ぶんてつ - この投稿者のレビュー一覧を見る
小説や物語に「内容」と「形式」があるとするなら、本書は「形式」を取り扱った批評である。
ただし、ここでの「形式」は、外見ということではなく、話の筋という程度の意味である。「内容」は、あらすじ以外の細かな部分、登場人物の具体的な差異であったり、挿入されているエピソードだったりということにしておく。
本書には1980年代に小説として書かれた、井上ひさし、丸谷才一、村上春樹、村上龍、中上健次、大江健三郎といった日本を代表する純文学作家の作品が取り上げられている。
私は大江や中上が論じられているということで本書を購入したわけだが、著者に言わせると、これら全ての当時の作品は「形式」としては、似ているということになる。
しかし、似ているというのは、悪いことだろうか。文学が人間の紡ぎ出すものであるなら、似たような作りを見出すことは容易なことだろう。そして、読者は似ているところよりも細部の違いによって、その作品をかけがえのないものと感じるのではないだろうか。
それは語り方の違いとでも言えばよいだろうか。著者は、そこに「物語」に「小説」が従属してしまうなら、その語り方は結局「小説」としてというよりは、「物語」としての機能に留まるとして、「小説」であろうとする作品を擁護している。
ただ、「形式」が似ているという指摘以上に、「物語」と「小説」の違いが簡単には腑に落ちない。読み方の試みとしては面白いので、読む価値はあると思う。けれど、1度見せられれば充分という気もする。