紙の本
いまだに感じられる新鮮さ疾走するイメージの鮮烈さ
2001/06/22 01:46
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ゆたやん - この投稿者のレビュー一覧を見る
暴走するスターシップ。限りなく相対速度が光速に近づき、外界は遠い過去へ去り、宇宙のあらゆる物質を自らの推進剤として消化しながらそれは進む。そして、宇宙自体そのものが<過去の存在>と化してしまうほど、遠い時空へ到達したとき、乗員たちは何を行い、何を選択したのか。
この小説を最初に読んだとき、その設定の明解さと、スケールの巨大さに…ひたすら呆れた(笑) まあ、宇宙レベルのホラもここまで極めればもはや立派というしかない。で、スケールだけ見ればその後あまたの宇宙レベルのハナシは幾多あらわれたにせよ、この小説がいまだにその精彩を失うことが無いのは、スケールの巨大さに比して簡潔でまとまった小気味よい物語展開があるからだろう。
例えば<ヒーチー人>シリーズも最後はほとんど似たような展開を迎えるのだが、それに至るに読ませられる小説の長さといったら、このタウゼロの数倍になる(長いなりに面白いところはいっぱいあるにしても)。よくまあ、この長さにこんだけのことをわかりやすく書き込んだものだと、これもまた呆れる。
呆れてばっかりではいけないのだとおもうが、事実、呆れる。人間、何か偉大なものに直面したとき、まず呆れるというか呆然とするというか、そんな感じになるだろう。タウゼロはそうだった。
うん。偉大な作品なんだろう。これは。
わくわくする作品なのだ。本当に。
紙の本
編集部コメント
2003/03/03 20:08
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投稿者:東京創元社編集部 - この投稿者のレビュー一覧を見る
『SFマガジン』ベストSF1992 第1位!
50人の男女を乗せ、32光年彼方の恒星をめざして発進した、人類初の恒星間宇宙船。だが宇宙船は生まれたばかりの小星雲と衝突し、バサード・エンジンが減速不能になってしまう。亜光速の船を止めることもできず、彼らは大宇宙を飛びつづけるしかないのだろうか? これぞ究極のハードSF! 星雲賞受賞作です。
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個人的には、ポールアンダースンの最高傑作のひとつだと思っています。
わりと壮大な時空間をあつかう話というのはSFの真骨頂だとおもうのだけど、この作品のすごさは同じ登場人物達を使って宇宙の終わりから再生までも見事に描ききっているところ。何度読み返しても面白い作品。
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32光年彼方の乙女座ベータ星めざし、50人の男女を乗せて飛びたった恒星船〈レオノーラ・クリスティーネ号〉。だが不測の事態が勃発した。宇宙船は生れたばかりの小星雲と衝突し、バサード・エンジンが減速できなくなったのだ。亜光速の船を止めることもできず、彼らは大宇宙を飛び続けるしかないのか? ハードSFの金字塔。
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物体は光速に近づけば近づくほど時間の流れが遅くなる。
宇宙船が他の恒星系へ移住するために亜光速飛行を開始。
するとなんと逆噴射装置が損傷。無重力なので減速するわけもなく、宇宙船は飛び続けます。
修理しようにも、外は原子1個にぶつかるだけで死んでしまう亜光速の世界。
その間にも外は100年、1000年と時を刻んでいきます…
そして万策尽きた彼らが選択した、最後の手段とは…!
設定の時点で面白い。そしてその現状をどうするかというより、それをどう受け止めるかという人間心理を濃く書いています。
最後のオチも嫌いじゃないです。
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スピードは距離を超え、世界を超え、時間を超える。結末にいたる速度は宇宙船の速度を超え過ぎて唐突に感じた。
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世界各国の優秀な男女25人ずつを乗せた星間探検船<レオノーラ・クリスティーネ号>は32光年離れたおとめ座ベータ星第三惑星を目指して地球を後にした。もしその惑星が居住可能なら彼らは最初の移民として子を成し永住して生活していくことになる。資源と空間が限られている船内で徐々にたまっていくフラストレーション。男女の問題。
・・・そして重大なトラブル。船が小さな星雲を強引に突っ切った結果、減速システムが破壊されてしまったのだ。亜光速で飛び続ける<レオノーラ・クリスティーネ号>は宇宙空間の水素との衝突を避けるための電磁流体力場で覆われている。船外活動で減速システムの修理を行う為には力場を切る必要があるが、バリアがなくなった船は水素原子の衝突で放出される致死量に十分すぎるほどのガンマ線にさらされることになる。加速することしか出来ない棺桶で希望を失い自暴自棄になる船員たち。そこに提示される唯一の希望。つまり宇宙のガスを利用して加速し続けタウをゼロに近づけ(注1)、船内時間にして数年かけて銀河団、超銀河団の外に飛び出し、水素の存在する確率が極めて低い高真空で減速システムの修理をするのだ。
減速する目的でひたすら加速する<レオノーラ・クリスティーネ号>。光速に限りなく近づき、地球時間で何十億何百億年という時間が過ぎた。もはや地球も太陽系も消え去ってしまっただろう。そして、加速し続けた船についに「宇宙の死(収縮)」が訪れていた。
なんというスケールのデカさ。なんという極限状態。なんという絶望。
そしてあまりにも大きすぎる困難を乗り越えていくために、不屈の意思を持って、運命を共にする人々の団結を促す護衛官レイモント。彼の孤独な戦い。人間の弱さと強さ。
ハードSFの金字塔と評される本書は、ハードSF成分と人間ドラマがよい具合に融合している。まさに読み応えは抜群。宇宙の果てに挑む壮大なスケールに圧倒されてほしい。
インフレーションを含む現在主流の宇宙論からすればありえないと思ってしまうが、本書が1970年(正確に言うと原型である短編は1967年)に発表されたことを踏まえれば、驚くことしか出来ない。とまあ、私なんかがこの小説の科学的な側面を評価してもしかたないないだろうから、詳しいところは金子隆一氏による解説を是非。
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この本に限らず世代宇宙船なるものが登場するSF小説には、理由もなくのめり込んでしまうのですが、この本に登場する宇宙船は厳密には世代宇宙船ではないです。本から読み取れる描写には、その機能を備えていますが、この船が遭遇するシチュエーションは、世代に渡って宇宙を旅するよりもっと過酷で凄まじいものです。実際にどう飛んでいるのかは途中から想像できなくなりましたが、相対性理論の浦島効果と同時性の(と自分でもよくは理解してないのですが。。。)パラドックスを最大限に活用したもの凄いSF小説だと思います。
いつも思うのですが、海外のSF小説はなぜこうも発想が豊かで、時間や空間の捉え方のスケールが違うのでしょうか。正直、日本で互角に対抗できる作家は小松左京ぐらいしか未だにいないのではないでしょうか。
小説の構成は停まることができなくなった恒星間宇宙船が、宇宙の終わり(と新しい宇宙の始まりまで)に至る時空を旅する中での船の中での人間模様が中心に描かれています。こういう設定だとリアル感が欠けて、設定だけで強引にすすむ感じがしますが、この本の凄いところは、背景に描かれた設定の丁寧さと人間描写の迫力に尽きると思います。この作者の著書は初めて読みましたが、SF小説としても発想が素晴らしいですが、普通の小説を書いても面白いものを書くのではと感じる筆力があります。
一つだけ注文を付けると、ラストの描写があまりにも少ない!紙面の都合があったのかも知れませんが、この設定と人間描写の確かさであれば、上下巻で、最後の結末ももう少しじっくり描いても立派な大作になったと感じます。
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久しぶりのSF。ビッグバンと痴話喧嘩が同じ目線で語られる壮大なパースペクティブ。ところで昔読んだなこれ。うん。
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自分はこれに何を期待して読んだのかわからない。タウのアイデアは面白いけどストーリーは平坦で盛り上がりに欠ける。SFはそれでいいんだ
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星雲賞だが本編よりも解説がよい
男女50人を乗せてとまらなくなった宇宙船。乗組員はいったいどうなるのか。
単純な背景を設定し論理的な結末を描くという意味でハードSFとしての読み甲斐がある作品だ。
ただ、乗組員の人間ドラマを下手に描こうとしたことで冴えというか切れが鈍化しているのが残念。
片道5年の恒星探査に50人の男女が志願する。2年ほどの時に不慮の事故が起こり、船の減速システムが破壊される。
1.背景
食料はリサイクルシステムで補給できる。燃料は星間物質を用いたバサード・ラムジェット・エンジンだから無限にある。
減速システムの修理をするためにはいわゆるバリアー(力場)外に出る必要がある。しかし、すでに高速航行しているため、バリアー外は星間物質の雨あられであり人間は1秒も持たない。よって船は減速できず、乗組員は船の中で寿命を待つのみ。
論理矛盾がなく良い設定だと思う。どうしようかと考えている間に、船はどんどん加速する。ウラシマ効果で船内では1年でも地球では何世紀も過ぎていく。乗組員は意気消沈し・・・。
2.第一の対策
そこでアイデアが浮かぶ。銀河と銀河の間にある星間物質が少ないところに行って減速システムを修理しよう! なるほど。これもわかりやすい。そのために星間物質が濃い領域を選んでラムジェットエンジンを最大限活用することで船を加速して乗組員の寿命よりも早く修理可能場所にたどり着こうとする。
ところが、加速の影響により銀河と銀河の間ではまだまだ星間物質は濃すぎるという結果となる。超銀河団間まで飛ばないと修理ができないという結論に。
そこで船はさらに加速を加え、どんどん先へと進む。地球を出発して10万年。もはや地球を含む太陽系は崩壊している。それでも最後の人類たちは生き残りをかけてどんどん先へと進む。
3.第二の対策
ようやく減速システムの修理ができた。あとは、適当な第二の地球を見つけてそこに着陸するだけだ。そもそもそんなかんたんに第二の地球が見つかるものか? それに加え、あまりに高速となった船を止めるためには主観時間で1年以上の時間が必要となってしまっている。第二の地球を探している間に乗組員は絶滅するという絶望的な状況。
さらに追い討ち。宇宙が縮小していることが発見される。主観時間では数年であるが、地球(宇宙全体)時間ではもう何万世紀も過ぎている。つまり乗組員は未来にきたことになる。そしてそのころ宇宙は膨張から縮小へと転じているというわけ。
3.最後の対策
勝負をかける。このまま縮小する宇宙の周りを最大加速でまわって宇宙が縮小し再び膨張するまで待とうという。そして、新しい宇宙の膨張速度と船の速度がほぼ一致するところに船を下ろせば相対速度ゼロで減速の必要もない。
そして人類は新しい宇宙に第二の地球を見つけてハッピーエンド。
いやぁ、数多くのアイデアがすばらしい。最大加速で早く着かないと乗組員が絶滅する、しかし船が速���ぎてとまれない。遅くすると第二の地球が見つからなかった場合、次の銀河にいく時間がなくなる。ジレンマの設定がとてもうまい。
最後の解決はビッグバンに勝負をかけるわけだが、ちょっと無理があることは否めない。それでも、すばらしいアイデアで帳消しにしても良い。
加えて途中何度か出てくる作者自身の解説や巻末の金子隆一氏による科学解説がとてもわかりやすくてよい。その半面、船内の人間ドラマはくだらない。1970年の本作の元になったのは人間ドラマがない1967年の短編 To Outlive Eternity だったと聞く。きっとこの短編のほうがずっと良いだろうな。
ちなみにタウとは光の速度との比較のために用いられている。タウがゼロに近くなるとは光の速度に近づくこと。数学的には「[1マイナス(光速度自乗分の船速度自乗)]の平方根」がタウだ。
すなわち主観時間の1分1秒が宇宙時間の1年1世紀に値するようになってくるということであると同時に見かけの質量が重くなるということ。それゆえ宇宙船が仮に恒星にあたっても恒星を突き抜けて自らは無事であるような状態になることをいう。
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久々のハードSF。
やっぱりSの部分がしっかりしていると読んでいて快い
ただし、この作品は人間的な部分がくどい。特に色恋が不必要なほど強調されるのはげんなりする。キャラが特に立っているわけでもないのに三角関係を複数持ち出されてもついていけない。
また、科学的な部分もよく分からない部分がある
宇宙再生の瞬間をどう乗り切ったのかがいまいち分からなくてもやもや(結局元の宇宙が消滅して新たな宇宙が誕生したわけではない?)
水素・その他を集めるにしても、集めるための超電磁工学、宇宙船の強度その他が冗談でしょうと読んでいると、どうも本気みたいで認識のギャップを感じる
巻末の浅倉久志の解説(なんでこんなに生き生きしているんだろう!)、科学的な補足はしっかりしていて高評価。
特に、ビッグバンをめぐる当時の状況の説明は、これだけでも読む価値あり。
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ビッグバン乗り越えたよ人類!!!!風呂敷がでかいのにイケイケですっごく楽しい。ハード面にそこまで執着しないのも好感。
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読み終わった後、著者がスウェーデンと聞いてフリーセックスと連想しました。
有閑倶楽部の影響ですね、はい。
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<poka>
まさにハードSFの金字塔だ。
まさかこのような展開になるとは!
スケールの壮大さは、今後も他の追随を許さないだろう。
たとえ宇宙のサイクルが1回転したとしても…。
<だいこんまる>
壮大さに呆れました。
開いた口がふさがりません。