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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2002.2
- 出版社: 筑摩書房
- サイズ:20cm/261p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-480-81437-X
紙の本
文章読本さん江
著者 斎藤 美奈子 (著)
【小林秀雄賞(第1回)】そうそうたる書き手たちがわれこそはと名告りをあげ手を染める…。「文章読本」はなぜこうも書かれ続けるのか? 圧倒的に男のディスクールでもあったこのジ...
文章読本さん江
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商品説明
【小林秀雄賞(第1回)】そうそうたる書き手たちがわれこそはと名告りをあげ手を染める…。「文章読本」はなぜこうも書かれ続けるのか? 圧倒的に男のディスクールでもあったこのジャンルの歴史にズバズバ踏み込み、容赦なくやさしい蹴りを入れる。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
斎藤 美奈子
- 略歴
- 〈斎藤美奈子〉1956年新潟県生まれ。成城大学経済学部卒業。文芸評論家。著書に「妊娠小説」「紅一点論」「読者は踊る」「あほらし屋の鐘が鳴る」「モダンガール論」など。
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紙の本
「文章読本さん江」さん江
2007/08/10 23:44
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:トマト館 - この投稿者のレビュー一覧を見る
大学時代、
すごくつまらない授業をとってしまったことがある。
そう、それこそが文章論で、
文章読本界では有名な教授が、
ひたすら「名文」とやらを褒めちぎるという授業だった。
カチン、ときた。
おいおい、名文ってなにさ、押し付けないでくれる?
毎週自分のお気に入り自慢して。
それに先生が書いた(しかも買わせた)教科書、
すっごい読みにくくてつまんないよ?たいして名文とは思えないんですけど!
腹立ちついでに、レポートでは、
おさない言葉でしたが、一生懸命批判して提出したなぁ。(評価はBでした)
はい、思い出はともかく。
斎藤美奈子、
よくやってくれたこの題材を!
わたしが感じていた文章読本への批判を、
よくぞ分析してくれた。
もっとも頼もしいことに、
あの授業の先生もかるーく料理してくれて!(だれとはいいませんが)
名文ってなんだよ!文章ってそもそも何のためよ!
書くことってそんなにだいじ?
小学校時代にこつこつ書かされた作文って、なんだったの?!
こんなふうに、文章読本さんだけでなく、文章そのもにの対しても、
つっこみをいれたくなる、気持ちいい本でした。
紙の本
斎藤さん、最近どうしちゃったのかなあ。ついこの間の本だけれど、これとか『趣味読』のころが筍だったのかなあ
2004/09/27 19:10
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「さん江」は誤字ではない。ちゃんとそう書いてあるので、安心して欲しい。で、斎藤美奈子、才気溢れる彼女は1956年生まれ、成城大学経済学部卒の文芸評論家。『妊娠小説』『紅一点論』『読者は踊る』『あほらし屋の鐘が鳴る』『文壇アイドル論』といった、タイトルだけでも興味をそそる本を書いている。
で、この本はあくまで『文章読本』の比較論。古今の文章読本が、なぜ、どのように書かれているかを探るのが主題の本。その斬りかたが、本の後ろに「斬捨御免あそばせ!」と断ってあるだけに、まったく容赦はない。
全体は「はじめに」と「あとがき」の間に4章。文章読本の開祖 谷崎潤一郎、それに続く夥しい人々を、文例を交えて紹介する「サムライの帝国」。沢山の文章読本誕生を「ええい、こっちへ貸してみな」の心境と喝破し、新規参入する有象無象の駄文を例に「文章作法の陰謀」。皆が一度は書かされた読書感想文、賢い生徒に見抜かれる教師の思惑「作文教育の暴走」。いばるな、文章読本。ヒエラルキーを押し付けようとする負の連鎖を断ち切れ、その武器はパロディ「下々の逆襲」。
夥しい数の人々の手になる『文章読本』が俎上に上げられ、引用され、罵倒され(斎藤の文章には、品格、茶目っ気があって罵倒という感じはないけれど)、まさに死屍累々というのがふさわしい。でも中心に据えられるのはやはり谷崎潤一郎『文章読本』、これなくして始まらない。それにしても、谷崎読本のデザインに関して「教科書のパクリ」と書いたのは、斎藤が初めてではないだろうか。スカッとする。
で、斎藤の才気が窺えるのが文章読本の分類。まず
・ 文章読本界の御三家
谷崎潤一郎『文章読本』
三島由紀夫『文章読本』
清水幾太郎『論文の書き方』
・ 文章読本界の新御三家
本多勝一『日本語の作文技術』
丸谷才一『文章読本』
井上ひさし『自家製 文章読本』
御三家、新御三家ねえ、1956年生まれというのがよく分る。
ともかく分析の仕方がいい。引用も、分析の仕方と合っているので、多くても気にならない、というか「これしかないよな」と思わせる。しかも、文章。軽さが、「本当は分ってて使ってんだからね」という奥の深さを感じさせて、軽薄にならない。勿論というか、意外なことに( )書きも多用されるのだけれど、それも卑怯に見えないのは、使い方を心得ているからだろう。現代語り言葉も、上手い、ウマイ。モウ、イウマイ。
ともかく多くの文章読本の価値観への言及がいい。多くの著者が名文というのが、基本的には、文筆を職業とするひとのもの、悪文として批判の対象となるのが、学生の論文や素人の投稿原稿、つまり文筆業の外にいる人たちのもの、というのは目からウロコ。でもそれだけではない、斎藤は、名文である根拠がないじゃん、とプロの仲間誉めを斬捨てる。拍手〜!
この階層化に対する指摘は、精細を極めるが、楽しいのはそれに関連して紹介される、殆ど私などが手にすることは無いだろうなあと思う無名(失礼だね、我ながら)の人々の実用文章読本。冗談としか思えないような、文章の書き方が紹介されていて、斎藤ならずとも、ナンノタメニ、コンナモノガソンザイスルノダ、とロボット化してしまいたくなる。それにしても斎藤の分析、引用の上手いこと。
いわゆる投稿オタクたちへの言及は、現代では、こうして書評というよりは、読書案内をwebにせっせと投稿している我が身に置き換えると、すこし心が痛くなる。それでも、楽しいのは、それが事実だからだろう。鈴木三重吉の『綴方読本』が、結局は一つの型を作ることでしかなく、それは所詮、単に文章に携わる人を作るに過ぎないという指摘。それらの一定水準のものでしかない文章と、いわゆる作家と呼ばれる人種の文との違いなどは、やはり面白い。
紙の本
学校作文と非学校作文の乖離
2002/12/10 21:03
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Helena - この投稿者のレビュー一覧を見る
なぜ人々は、かくも「文章読本」を求めるか−−それが、学校作文との関わりで述べられている点が、興味深い。「子どもらしい「表現の意欲」を重んずる学校作文と、大人っぽい「伝達の技術」が求められる非学校作文は完全に乖離している。……戦後の文章読本は、この隙間を埋めるものとして要請された側面が大きい」[231]というわけなのだ。
まず斎藤は、文章を「伝達の文章」と「表現の文章」に大別している。その性格の違いは、以下の通りである。
書く目的 読む目的 優先するもの 求められるもの
伝達の文章 情報伝達 情報入手 伝達内容(情報) 的確さ
表現の文章 自己表現 鑑賞 伝達形式(文章) おもしろさ [55]
非学校作文では、レポート、企画書、依頼状等、伝達の文章が求められることが多いが、「学校教育が重視してきたのは、目的のはっきりしない作文のための作文、あえていうなら身辺雑記に近い「表現の文章」」であり、「「あるがままに書け」「見た通りに書け」「思った通りに書け」というのが、そのスローガンだったという[132]。
義務教育の9年間、「学校作文」の指導を受けてきてはいても、それは社会で求められる「伝達の文章」の指導ではなかった。だから、人々の中に、「ちゃんとした文章の訓練を自分は受けてこなかった、という漠然とした不安」[132]があり、それが、文章読本に人々を向かわせるのだ、というのが、斎藤の主張だ。
学校教育で行うことが、すべて、社会に出るための準備でなければならないということではないだろう。しかし、それでも、学校作文・生活綴方は、こうした角度からの学校作文批判を、まずはきちんと受けとめ、自らをくぐらせて考えてみる必要があると思うのだ(もちろん、だからといって、伝達の文章に移行すればという単純なものではないのだが)。これらを対立的に捉えるのではなく。学校作文の質をどう深めていくかという角度から、考えていきたい。今後の私自身の課題として。
紙の本
じつは『文章読本』なんて役に立ちゃあしないのさ!?
2002/04/06 14:20
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:琴 - この投稿者のレビュー一覧を見る
作家になりたいと思う人ならば誰でも一度は手にとる『文章読本』。しかし、これを読めば文章は上手になるのか、そもそも上手な文章なんてあるのか…? 既成の価値観をどんどん破壊する文芸評論家・斎藤美奈子が作家になりたい貴方に送る、まったく新しい評論。
それにしても、完成までに8年を要したというこの本は、その年月にも納得の完成度。文学界のえらい人たちの書いた「文章読本」の前にただひれ伏すだけだった私たちも、斎藤美奈子氏の鋭い突っ込みとからかいと反論に、おおぅ、と拍手を送ってしまいたくなる。
正しい日本語って何か? 誰かが言っていることに対して、はいそうですか、とうなずく事だけでいいのか。自分の言葉で日本語を語ることこそが大切なのではないのか。
紙の本
文章道の聖域にメスを入れる!文章読本を読み解く新しい視点
2002/03/10 13:41
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:敷村良子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
そうだ、こういう視点があったのだ。鋭い切り口で聖書からベストセラーまで、痛快に批評する文芸評論家、斎藤美奈子が、文章界の聖域、文章読本に分析のメスを入れた。
そもそも、文章読本とはいったい何なのか? 文豪やベテランのジャーナリストが、どうだ、まいったかとぶちあげた文章道の指南書を、私たちはへへーっ、参りましたとひれ伏し、お手本にして本棚に飾ってきた。なにも文章をしのぎとする人たちだけではなく、私たちは国語の時間に、こうすれば文章が書ける、こう書くのが良い文章だと、いろんな決まりごとを教えられる。でも、そうやって9年以上教えてもらっても、名文美文が書ける? センセイの言ったことって、ホントなの?
著者は独特の視点から文章読本を読みとり、今まで気付かなかったことを提示してくれる。プロ中のプロを自ら標榜するお家元たちが、あたかもオリジナルな流派として開陳したかのように見える文章論やノウハウも、いくつかの類型にまとめられ、その内容はとっても権威主義的。ただ単に文章でメシを食っている人だからといって、その人が的確な文章作法をわかっているわけでもないらしい。思想の包み紙=文章について語ること、つまり文章読本は文章道の家元たちの思想の包み紙だったのだ。
文章は生きもの。時代が変われば文体も変わる。最大の文章革命、明治時代の文語から口語への流れや作文教育を、著者のリードでたどっていく、そのプロセスがおもしろい。日本人は、誰が、いつ、どんな内容を書いた文章を名文とし、ありがたがってきたか。文章=スタイルそのものが、どういう性格のものなのか見えてくる。文章読本を読み解く新しい視点が得られる一冊。
紙の本
文章読本さん江
2002/03/19 13:02
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ケンゾー - この投稿者のレビュー一覧を見る
よく文豪とかが出す文章読本を信じきっていた人には眼から鱗が落ちる本。作者の斎藤美奈子さんは文章読本なんか、そんなに気にすることないといいきってしまう。文章読本が間違っているということじゃないけど、そんなに頭を下げなくてもいいんじゃないと斎藤美奈子さんは言っている。肩に荷がおりるような一冊。
紙の本
ベッドの中で死にたいの
2002/05/13 10:33
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
ブハハハ…。タイトルをみて、え? と思ったでしょ。おめえのキャラじゃねえって、いくらなんでも。ブハハハ…。
ハイそのとおり。内田春菊さんの短編集『ベッドの中で死にたいの』でした。
なら、最初から『 』を付けろや、ということですが、自分で声に出してみたら、あまりの可笑しさに、つい悪乗りしてカッコを外してしまいました。スンマヘン。
内田すぁんとか岡崎京子すぁんとか、女性の天才の描くものを読むとグ〜の音も出なくなる。いやほんと。やる気なくす。こういう女性に好かれる男になりたいな〜と鼻の下のばして思うけど、無理無理、最初から白旗。努力の甲斐がない。何を隠そう、おいちゃん、努力がけっこう好きなのですが、上記ふたりの漫画をみるたび、こんなふうに接しられたら俺なんかかたまっちまうな、と思う。間や空白の感じは、ほかでは味わえない独特のもの。最後のコマで、
魚が浅瀬で遊ぶようなその音
私の中にもこんなに水分があったのでした
斎藤美奈子さんの『文章読本さん江』も、ちょと恐い本。世の中に何百とある文章指南の本を一刀両断。これ読んでると、毛むくじゃらのオトコのポーズ、ヒトリヨガリ、エゴ、ウソ、カンチガイ、ゴウマン、バカ、ヒクツが炙り出され、白日のもとにさらされる。オトコという生き物がまるでアホウみたい。あ〜〜あ。ってな感じ。
オビに「斬捨御免あそはせ!」(「ば」でなく「は」)とある。ほんと、大事なところをカミソリでスッとやられたような痛さだよ。
紙の本
著者インタビュー(1)
2002/09/12 15:29
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:斎藤美奈子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
1.「本書はいわゆる『文章読本』ではありません。文章読本と呼ばれる一連の書物じたいに光をあててみよう——それが本書の趣旨であります」と<はじめに>にありますが、こんなに大変な、それこそ報われない仕事をこつこつと8年間もやってきた情熱は、どこからわいてきたのでしょうか?
——怨念でしょうか。いや、それは冗談です。8年間といっても、その間に私は『紅一点論』とか『モダンガール論』とか、別のテーマに浮気もしてましたから、これ一筋ってわけじゃない。白状すれば途中で何度も挫折しかけました。しかしまあ、乗りかかった船ですし、降りたくはないなあと。するとやっぱり怨念かな。
2.「文章読本」はそれこそ掃いて捨てるほどあるのに、あらふしぎ、斎藤さんのこの本のように「文章読本」を批評の対象にしたものはほとんどありません。読み始めて、これは爆弾のような本だ、と思いました。著名な文学者やジャーナリスト(谷崎潤一郎、三島由紀夫、丸谷才一、井上ひさし、本多勝一、清水幾太郎)の文章読本を切りまくり、からかい、論破していく。このことに恐怖心はなかったのですか?
——恐怖心はいつだってあるんですよ。いつもビクビクしながらやっています。本当です。でも今度の場合、私は、ほら、そういう土俵からは降りてるから。あちらはゾウ、こっちはネズミみたいなもので、どのみち文章では勝負にならないし、勝負しようとも思ってもいない。いつかは自分も甲子園のマウンドに……という野心でもあれば別ですが、私の居場所は観客席だと決めてしまえば、スター相手に野次もとばせる。「コラ、タコ! もっとしっかり投げんかい」なんて外野席から檄とばしてるタイガースファンみたいなものですよね。とかいうと、タイガースファンに失礼か。
3.たいていの人が何冊かは文章読本モドキの本をなぜか気になり買ってしまう。その理由はこれを読むととてもよくわかる仕掛けになっています。私はこれを読めば「文章読本」はもう読まなくていい、という安心感が与えられましたが、斎藤さんにもそんな思いがあったのでは? あまりに文章読本に振り回される人(文筆家になりたい素人さん)が多すぎてかわいそうだ、という斎藤さんの思いをひしひし感じたのですが……。
——ワシがカタキをとってやる、という気持ちは確かにありました。たまたま読んだ「文章読本」に書いてあった規範が、神聖な掟みたいに見えて、トラウマになっちゃうことってないですか? 私はああいう本のそう熱心な読者だったわけでもないのですが、それでも何かの拍子に読んでしまった直後は、必ず筆が萎縮する。「文章読本」はどうしたって抑圧的なんです。ですから、呪縛を解きたいというか、みんなもっと自信を持て、といいたかったのは事実です。
(2)へ続く⇒