紙の本
過去の思想を裁断する著者の性急さが気になる
2004/10/23 12:39
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:越知 - この投稿者のレビュー一覧を見る
恋愛や結婚という制度について、それを自明のものと見なさない論者は珍しくない。「恋愛」という概念が日本人にとって輸入物であり異質な考え方であるという事実は伊藤整によって明らかにされたし、また最近はフェミニストによるその手の書物が多数出ている。
この本も、主タイトルからすると、そうした先人の業績や流行を追っただけの二番煎じの代物と見なされかねないが、重要なのはむしろ副題の方で、優生学思想が恋愛や結婚という概念と結びついて近代日本にどう現れたのかを解明しているところに目新しさがある。明治期から戦後に至るまでの優生学思想の流れを、多くの資料を渉猟して提示している部分こそ、本書の最大の特長であり、高く評価すべきところであろう。
しかし、優生学を初めとする過去の思想を裁断する著者の視点が窮屈で浅いので、逆に全体の印象が低下しているのは、まことに残念である。具体的に言うならば、著者は「国家」が介在する思想にはヒステリックなまでに拒絶的に反応し、敗戦によってその無効性が明らかになった観念だとするのだが、果たしてそれで問題は片づくのだろうか?
そもそも優生学は、著者自身も書いているように、日本やドイツなどの「ファシズム国家」で成立し発展したものではない。フランスや北欧などの「民主主義国家」「先進国家」で優生学が発展したのは、米本昌平ほか著の『優生学と人間社会』(講談社現代新書)も明らかにしているところであって(この書物が本書で引用されていないのは、どういうわけだろうか)、優生学を批判するにしても、それが帝国主義・日本で採用されていたから、というのでは理由にならないのである。
また、「国家」は今もなお厳然として存在するのであり、「福祉」にしても「国家」という枠組みの中で行われているという当たり前の事実が、著者には見えていない。だから、一方で少子化による福祉破綻を恐れる論者の言い分を「国家を介在させる思想」として批判しながら、その後で、「少子化対策への公的支援を否定はしない、なぜならそれはプライヴェートな生そのものを支援するものだから」(215ページ)などと取って付けたような言い訳を付け加えるしかなくなってしまうのである。どうやら著者は、「国家」と「私」の関係を突き詰めて考えたことがないらしい。
私の見るところ、著者はある限定された言説集団の中での議論に慣れきっており、その言説の枠自体を疑う目を失っているようである。例えば冒頭、「あの石原慎太郎」という言い方が出てくるのだが、ここには「石原慎太郎の言い分がまともであるはずがない」という予断と偏見が明瞭に表れている。私は、石原慎太郎批判をやるなと言っているのではない。日本の首都の知事に選挙で多数の票を得て選ばれた人物を批判するなら、真正面からきちんとすべきなのであって、「あの」などという隠語めいた言い方でことを済ませるのは、逆に論者の不見識を露呈させることにしかならないと言っているのである。
なお、1959年の皇太子ご成婚がカラーテレビの普及を促したと書かれているが(223ページ)、モノクロテレビの普及というのが正解。そもそも日本でカラーテレビ本放送が開始されたのは1960年のことであり、普及は70年代になってからである。
紙の本
もてない男女の苦悩をもたらしたんだよ
2004/09/18 01:46
8人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:小谷野敦 - この投稿者のレビュー一覧を見る
私の論を無視していないあたりは、褒めてあげよう。しかし、恋愛結婚至上主義が何をもたらしたかって、そりゃ、もてない男女の苦悩をもたらしたのだ。加藤は、そこのところを懸命に避けて通っている。高群逸枝の醜女醜男論も無視して。
「フェミニスト」らしき加藤は、人工妊娠中絶を是とする論文を書いているが、ここでは出生前診断による中絶に疑義を呈している。しかし妊娠中絶が女の自己決定権だなどと言ってしまえば、出生前診断による中絶を「優生学」だと批判しても始まらないだろう。優生学はダメで、経済的理由による中絶はいいとは、どういう理屈であろうか。加藤は、宮崎哲弥の妊娠中絶批判にちゃんと答えるべきだろう。
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レポートの課題図書
(必要な箇所のみ読)←ていっても結構読んだと思うんだけど、いまいちよくわかんないとこあったね(´・ω・`)
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おもしろいんだけどね・・・この著者の特徴なのでしょうが、一人称主語を「僕」と書くのがナイーブさの演出、あるいは親しみやすさの演出のように感じられて好きではない。語り口調も全体にかなり柔らかいから読みやすくはあるんだけど。
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恋愛から結婚へ、「結婚=幸福」という一般の大前提を疑うところから始り、結婚制度を疑い、一夫一婦制が明治から今日に至るまでの歴史を振り返る。果ては恋愛、結婚、家族という制度と、優生学の考えとの繋がりにまで本書の内容は発展していく…。
題名からなんとなく読み始めた私には、最初面食らう部分もありましたが、議論に即して戦前の作家や評論家の意見が抜かれているところが興味深く読めました。「一般的」な考えというものは、個人の考えよりも社会の利益が反映されているというのはまぁ考えればわかることではありますが、「幸福を疑う」という切り口はちょっと興味をひかれるものがありました。
(2005年6月25日)
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恋愛結婚というか、結婚の歴史について知るには良い本。優生学なんて糞みたいな学説が流布していた時代もあったのだと驚いた。かつて、学問はたしかに男性のものだった。それが、優生学により馬鹿女よりも優秀な女性(優秀な遺伝子を残せる女性)が選ばれるようになった。女性が学問の領域に足を踏み入れるようになったのは、フェミニストの功績と思えるが、本当は男に利用されただけなのかもしれない。「疲れすぎて眠れぬ夜のために」で、ENAの卒業生になること(女性の社会進出を進めること)は、今ある既存の男性的価値観を肯定することになると書いてあったなぁ。
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この本を読んで、恋愛結婚が、大正から昭和にかけて合体しはじめるということが分かった。最近では、仲人によるお見合いは、ほとんどなくなってきているらしい。若い男女の結婚は、「恋愛」結婚が常識となりつつある。家柄や財産によって相手を選ぶのではなく、男女が清い交際をしながら、互いの精神性に惹かれあい、恋愛することによって、よりよい相手を選び、よりよい子どもを産んでいくべしという考え方が出てくるのだ。
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今当たり前の恋愛結婚に至るまで、過酷な歴史があったとは知らなかった。また、優生学という単語すら知らなかったので、優生結婚が全面的に押し進められていく恐ろしさを想像して、身震いするような思いがした。いまだに残る優生思想、差別…昔よりは落ち着いているように見えても、課題はまだまだ残っている。過去に一生懸命運動してきた人を見習って、私たちも現状をよりよい方向に進めるための努力をしないといけないなと思った・
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ゼミ論参考文献。
ウチのゼミはフェミニズムなんかを扱うところなので、とりあえずテーマを『現代の恋愛』にしてみた。が、さすがにそれは漠然としすぎ。どうしたものかとこの本に手を伸ばした。
≪優生学思想≫が日本の恋愛観に持ち込まれているといった話。近代化前後からの優生思想の変遷がしっかり書いてある。年表代わり、良い資料である。
ということでたぶん優生学について書くことになるんではないかと思う。ことしは「ゆうせい」づくしだ。あと2週間・・・もない。
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[ 内容 ]
夫婦別姓論議や少子化、不倫、熟年離婚など「結婚=家族」という主題が、ここ十数年メディアを賑わしてきた。
だが、こうした話題の前提として、「一夫一婦制」自体が論議されることがなかったのはなぜか?
そもそも明治期に唱導された一夫一婦制は、単なる精神論や道徳談義ではなく、「総体日本人」の、改良という国家戦略と共存していた。
本書では、一夫一婦制と恋愛結婚をめぐる言説が、優生学という危険な部分と表裏一体であったことを検証し、恋愛・結婚・家族という制度の「近代性」の複雑さを明らかにする。
[ 目次 ]
序章 “恋愛結婚”の時代
第1章 制度としてのロマンチック・ラブ―日本における“恋愛結婚”への助走
第2章 「一夫一婦制」への遡行―明治期における恋愛・結婚・国家
第3章 一夫一婦制という科学―「男性の体液が女性の体液に混じる」?
第4章 人類のために恋愛を!―家庭・フェミニズム・優生学
第5章 恋愛から戦争へ―戦前期における「優生結婚」の模索
終章 “恋愛結婚”の方へ
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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結婚=幸せ。ほとんどの人が肯定する価値観を一刀両断している。日本の婚姻制度について、歴史の流れに沿って解説。私的な婚姻を国家が管理するようになり、一夫一婦制が採用された経緯などはおもしろいし、こわいエピソードでもある。フランスのパックス婚などの流れや、日本人の現在の価値観を比較しながら読む。既婚だが、法律婚制度は必要かどうか…考えさせられた。
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福沢諭吉にはじまり、近代思想を紐解きながら、日本人の結婚観を追跡した一冊。2004年に書かれた少し古い作品であるが、2011年現在こんなにも女子の婚活・男子の草食化の時代を筆者はどう見ているか知りたい、と思わせるくらい丁寧に研究してある。家の存続のための結婚から、優性学的見地での結婚観があり、現在の恋愛結婚の姿に至るまでの過程を、思想家や、文豪などの、雑誌寄稿などから時代の空気の変化を追跡している。面白い。
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恋愛だとか結婚だとかは、まるで本能か何かのように語られる。
けれど実際は社会のしくみにすぎないもので、恋愛と言う感情のものさえも社会のあり方・常識や規範に動かされる。
なんだよ恋愛って生物学的にどうこういうようなものじゃないんじゃねえかよと安心させてくれた一冊。
恋に焦がれる昔の若者たちがアホアホしくていっそかわいい。
「一旦愛した位なら、飽くまでラブするがいゝぢゃないか」(坪内逍遥 1886『当世書生気質』)
「最も恐るべきラブの飢餓道」(北村透谷 1887)
「人としての自覚ある者にとってラブなき結婚生活を続けてゐることはインフェルノだ」(厨川白村 1920.10.30朝日新聞にて、歌人白蓮の事件にコメントして)
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とてもいい本だった。
陳腐な表題とは裏腹に、明治から戦前と戦後すぐまでの恋愛、母性という単語がもつ概念がどのようなものかを考察していくという構成。
明治以降一般的に使われてきたその単語に、主観ではなく体制側から押し付けられた幸福概念、そして全体主義、差別思想に結びついたイデオロギーがまとわりついていることを論証する。
そして何より面白いのが、考察の端々で今日の社会状況と照らし合わせながら鋭い社会批判を行うところである。著者の面目躍如といったところか。
誰でもわかるような平易な理論構成の中に何度も光る、我々の社会に潜むイデオロギーにたいする視線にはっとされられる。そういうものに対するアンテナが高い人にこそ読んでもらいたい一冊である。
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明治~昭和初期の恋愛結婚の台頭に影響をもたらした事件や思想家を追っている本。
歴史的背景も重要だが、現代の恋愛についての著者の考察が読みたかった。