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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2003.7
- 出版社: 紀伊国屋書店
- サイズ:19cm/328p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-314-00947-0
紙の本
南海ホークスがあったころ 野球ファンとパ・リーグの文化史
南海ホークスの足跡をたどりながら、単なる球団史ではなく、人々が娯楽を求めて集まるスタジアムという場の有り方や、ファンの応援スタイルの変遷といった大衆文化論的な視点から戦後...
南海ホークスがあったころ 野球ファンとパ・リーグの文化史
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商品説明
南海ホークスの足跡をたどりながら、単なる球団史ではなく、人々が娯楽を求めて集まるスタジアムという場の有り方や、ファンの応援スタイルの変遷といった大衆文化論的な視点から戦後日本社会を活写する。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
永井 良和
- 略歴
- 〈永井〉1960年生まれ。関西大学社会学部教授。著書に「社交ダンスと日本人」など。
〈橋爪〉1960年生まれ。大阪市立大学大学院文学研究科助教授。著書に「祝祭の〈帝国〉」など。
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紙の本
どこにでも、語られるべき物語がある
2003/09/16 22:58
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たびと - この投稿者のレビュー一覧を見る
水島新司の「あぶさん」という漫画の最初の頃に、あぶさんを野次る野次将軍のような爺さんが出てくる。僕の一番好きなエピソードだ(「酒しぶき」もなく「哀愁」もない今のあぶさんには何の魅力も感じない)。阪急の加藤選手を「アホの加藤!」とはやしたてた記憶がある。トランペットの騒音にかき消されてはいたが、そういう野球の愛しかたを時代が、確かにあった。
製麺工場の機械が止まる。一日の仕事を終え、父が粉だらけの服のまま僕たち兄弟を自転車に乗せた。後ろの荷台に兄が、前の籠に僕が乗り、父は通天閣の方角に自転車を漕いでいく。ネオンが近付いてくる。カクテル光線に囲まれた球場に手を引かれて入っていった。試合は終盤で、父はなぜか切符を持たずに入場していた。たしか、8時を過ぎると切符がなくても入場できたと記憶している。マウンドには江夏豊がいた。野村克也がキャッチャーマスクをかぶって内野に指示をだしていた。長嶋の引退でもなければ王の756号でもない。それが、最初の野球の記憶だ。
父は南海ホークス黄金期を知る世代だった。口を開けば「杉浦4連投」「黄金の内野」を語り、野村をたたえ、別所を引き抜いた「読売」(不思議なことに古い南海ファンは決して「巨人」とは言わないのだ)や約束を反故にした長嶋を罵った。幼少期の僕にとって野球とは南海ホークスであり、父の語る世界の中にあるものだった。
野村克也が解任され、父がナイターを見なくなり、麻雀に入れ込んで家業が傾くのと同時に、南海ホークスは低迷の時代を迎える。それでも周囲が阪神だ読売だと騒いでいる少年時代に、僕は緑色のユニフォームの地味な集団を愛しつづけた。南海ホークスの身売りは、高校の修学旅行の真っ最中で、あまりにもショックだったので未だに肝心の修学旅行の中身がまったく思い出せないでいる。
その大阪球場も今はない。本書でも触れられているが、今大阪球場のホームベースのあったところは場外馬券売り場になっている。先日そのことに気がつき愕然とした。大阪球場があったことを示すものは、今は何もない。おそらくこれから野球を知る世代は、誰もそれを知らないまま過ぎていく。ホークスは九州に行き強いチームになった。だが南海という球団を愛していたファンは、「みなが、大きな不幸を共有し」たまま今も生きているのだ。
本書は、決して日の当たることのない歴史の中で、南海ホークスと大阪球場という今は存在しないふたつの物語をつむぎながら、野球という文化がテレビを中心としたメディアによってのみ作り出されるのではないことを、丁寧に語っていく。
今、FAやドラフト制度の変更で、戦力がセリーグに集中する現在、パリーグの存在意義そのものが否定されようとしている。もしかしたらパリーグとは滅んでいく運命にある存在なのかもしれない。だが、どこにでも、語られるべき物語がある。それを蔑ろにしている今の野球に、「文化」はあるのか。決して郷愁ではなく、回顧ではなく、今だからこそ語られなければいけない物語がここにある。本書は、そういう1冊である。