紙の本
素敵な少女に「すてきなかれし」ができますように。
2004/11/11 04:14
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投稿者:すなねずみ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「世の中のカップルがみんな喧嘩別れするわけじゃないでしょ? だから、忘れられなくて引きずる人っていうのが、いつでもどっかにいるんじゃないかな」
「うん。そうかも。どっちかが引きずってたり、両方とも全然引きずってなかったり、ふたりとも引きずってたり……」
クリスマスを前に恋人と別れたらしい制服姿の十六歳の女の子が、親友と思しき女の子と話している。
ふたりの会話はトーンとかリズムがとてもやわらかくて、うるせえなとかまったく思わせるところがなくて、これ見よがしのところも皆無で、そのやわらかな空気のふるえ。
会社帰りのサラリーマンやらOLやら塾帰りの子どもやらだらけの車内には宛先の定まらない敵意みたいなものがユラユラとあふれ出して息苦しさみたいなものとして徐々に固着していく、いつもはそんなふうに感じてしまうのだけれど、今日は彼女たちの会話やら動きやらのやわらかさが辺りにゆるりゆるりと浸透していく感じで、少し感動的ですらあったからそれを僕はいま言葉を使って再現してみたいと思いながら、うまいこといかずに気分だけはまったりしている。
軽やかでまろやかで、とてもピュアなふたりのSweet Sixteen。そのやわらかさは確かにふたりの間に生じている何かなのだけれど、外の世界へと向けて閉じられていなくて、媚びるわけでも頑なに抵抗したりするわけでもなく、すぅっと染み透ってくる。これはすごく柴崎友香さんの小説の世界っていう感じがして、彼女たちの関係はなんだか『青空感傷ツアー』のなかの音生(ねお)と芽衣(めい)の関係と少し似ている。午後八時すぎのそれほど混んではいない電車でふたりは僕の前に立っていて、僕は前のめりの姿勢で遠藤周作の『沈黙』をかなり深刻そうな顔をして読んでいたのだけれど、ふたりの会話や動きのやわらかさにごく自然にすごく惹きつけられていて(とか書くとすけべおやじ風だけれど、そういうんではなく)、このやわらかさを文章にしてみたいと思った。
美形にとことん弱い芽衣(26)と超美形の音生(21)が、いきあたりばったりにトルコ、徳島、石垣島というふうに脈絡のないふたり旅に出る。『青空感傷ツアー』というのはそんな小説で、冒頭の新幹線で東京から大阪に帰るところなんかは少しばかり『阿房列車』を思わせるし、女の子版の弥次喜多道中っぽくもあって、一方では大島弓子と安野モモコを絶妙にカクテルした感じ(って、どんなんや)とか、ちょっぴり小津安二郎の映画っぽくもあり……でもこの『青空感傷ツアー』は『きょうのできごと』とかにくらべて、ああこれは誰かの影響とかなんとかを超えて完全に柴崎さんの小説になってる、そんな感じがした。芽衣は三年勤めた会社をやめ、音生は彼氏に浮気をされて別れて、みたいなことがあって旅に出るわけだけれど、柴崎さんの「恋愛」や「生活」の描き方はとても素敵で、「海」と「闇」の描写がとてもいい。日本は周囲を「海」に囲まれた島国で、作家にとって「闇」というのはとても大切なものだから、とかいうとなんだか理窟っぽくなってくるけれど、最後に『ショートカット』のなかの「パーティー」という短篇から……
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紙の本
特別でない毎日の中には
2004/05/08 17:13
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投稿者:オクヤマメグミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
特別な事件は起こらない。
旅のきっかけは突然であったけれど、ただその土地を巡るに過ぎない二人の旅が何故かキラキラしたものに映る。
魅力的な女の子・音生に振り回されている年上の芽衣。宙ぶらりんな我が身を愚痴ったり反省したりと感情面で日々忙しくしている。一方の音生は自然体で揺るぐことがない。
タイトルとは裏腹に、二人が感傷に浸って暗くなるような場面は少なく、女友達に旅行の話を聞いているような感覚だ。
「きょうのできごと」も然り、著者はさりげない日常を切り取るのが本当に上手い。
とりわけ何も起こらない日々を文章にすると、オチのない単調な内容になりがちだが、本書は登場人物も、街も、空気までが生きていて読み手にまで伝わってくる。
こういう連続が私たちを形作っているのだ、きっと。
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すっ、って読めて、さっ、って終わって。関西弁もなじみがいいし、こんな風に旅をしてみたいと思う。
「きょうのできごと」の原作者。(05/07/16)
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失恋した音生(ねお)と一緒に一ヶ月の旅行を強行するお話
主人公(名前忘れた^^;)の優柔不断で臆病なところに共感しつつ、
私だったら音生とは友達を続けられないと思った。
破天荒で自信にあふれてて、自分の道を突っ走れるのは羨ましいとともについていけない気がするの。
読みながら浮かんでいた音生の顔はカエラちゃんでした。
か~わいっ
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暇つぶしに読んだのだけれど、おもしろくなかった。たいして厚くないのにものすごく時間がかかりました。文章がつまらない。それから大阪弁っていうのが会話とその他の文で明確に使い分けされていたらよかったと思うけれど、なんだか曖昧でどんなイントネーションで読めばいいのか分からないし気疲れしてしまった。内容としては一部共感を得たところもあったけれどいまひとつ。
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主人公のダメな感じが自分に投影されて、何かやだった。
でも、こんな風に思い立ちでトルコに行けるフットワークは好きでっす。
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2006.04. 作者が大阪在住とのことで、自然な大阪弁の会話が心地良かった。読んでいて、不自然じゃない大阪の女の子(27歳は女の子かな)。ワガママで美人で年下な友達を引っぱられて、ドコドコ旅に出るんだけれどハタと自分のワガママさにも気づかされてしまう。こういうことって、ありそう。そんな気になる1冊。この作者好きになったぞ。
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表紙で選んだんです。うん。面白くなくも無いんですけど、無闇に苛苛させられるかな。主人公の性格があんまり好きじゃないせいかもしれません。
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美人でゴーマンな女友だちと、彼女に言いなりな私。女二人の感傷旅行の行方は?
仕事や生活を気にしないで、お金の続く限り気ままに旅をしたくなりました。
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正反対の女の子二人の物語。
綺麗なものを純粋に綺麗だと言える芽衣は、邪気がないのかなと思った。私だったら綺麗な「もの」は素直に認められても、綺麗な「人」はどこか卑屈な気持ちで見てしまう。
一方綺麗な「人」の音生は、はちゃめちゃ。行動力がもの凄く、ページを開いた次の瞬間もう次の場所に移動してる。トルコ、徳島、石垣島。あまりの素早い行動に、ちょっと笑えた。
小説に出てくる自分勝手で我儘な女の子って、基本的に結構好きなんだけど、今回の音生はなんだか苦手。傲慢な性格の中にもっときらりと光る魅力が欲しかった。でも名前の響きは好き。そして、どうでもいいけど弟のネーミングセンスは大丈夫か、麗寅って・・・。
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柴崎友香の「青空感傷ツアー」を読む。どことなく「きょうのできごと」の真紀とけいとのような組み合わせの二人が登場する。その二人がちぐはぐな旅を続ける話だ。そして、映画「きょうのできごと」を観てしまったものとしては「青空感傷ツアー」の音生はけいと役を演じた伊藤歩を当てはめずに読むことはできなかった。しかし芽衣は真紀役の田中麗奈かというと、どうもそこは違うようだ。むしろこのモノローグの主人公には柴崎友香自身を当てはめるのがよいと思う。
これまでの柴崎友香の作品と明らかに異なるのは、話の進行が時間的に長期に渡っている、という点だ。柴崎友香の描く、短篇にすっぽり収まるような短い時間の中で、胸の内にくるくると沸き上がる思いをとつとつとした文体で描く、という特徴はやや影を潜め、今回は二人の女性の距離をじっくりと描いているように思う。何よりもこの作品は、これまで読んだ柴崎友香の作品が持っていた方向性とは、違う方へ向かおうとしているように思えた。
二人の距離、と言っては見るものの、表面的に語られるのは専ら景色のことであったり、相手が何をしているかについてであったりするだけだ。この情景描写のような文体が柴崎友香の特徴なのだけれど、そんな描写の中で、直接的には語られない相手の気持ちの変化が読み取れたり、主人公自身の変化が読み取れたりするところが、とても気に入っている。
そのような描写はこの作品でも、もちろんなされてはいるのだけれど、そこはかとなく語られる心情というのが誰のものなのかということが、中々読み取れない。他の柴崎友香の作品から類推するなら、語られているのは、もちろん、モノローグの主の中で起こる心情の変化である筈だ。そう読むこともできるし、そう読むのが一番素直だとも思う。しかし、実は語られているのは主人公、芽衣、と一緒に旅をする音生の心情の変化であったのか、と最後になると思い始めてしまうのだ。そうすると少し混乱することになる。実は、それは二人の関係の変化でもあったのだと思い至るけれど、この二人がどういう関係なのかは、全篇を通して読者にしっかり伝えられることがない。その説明の省かれ方、あるいは作家柴崎友香の持つ人間像に通じるのかも知れない。
柴崎友香の描く人間像というのを考えてみると、人と人との関係を一対一の直接的な関係の中により強く見いだして、何か見えない因習、例えば恋人であるのだからどこに居ても二人はお互いを思うものだとか、会社の同僚であるのだからお互いを知っている筈だとか、というものに縛られずに、というか、そのような関係は信じられずに、直接見えているものを見つめ直すことで発見するもの、ということになるように思う。基本的に自分というものにより多く視線の先は向いていて、他人との関係の中で自分の気持ちがどう変化するのかを描くのが特徴でもある。気持ちの変化に自分自身が気づく時の、さり気なさ、あるいは前向きな感じ、の描かれ方が柴崎友香を自分が気に入っている理由でもある。その感じは依然あるのだけれど、この物語の中では、表面的な間柄の象徴のようなものであった音生との関係性が変化していくことも同時に描かれており、そこに読む方は���あるいは書く方も)迷いが生じる。
違うと言えば、この物語の主人公たちの持つ現実性というものも、これまでの作品の主人公達のそれとは異なっているように思う。柴崎友香の描く人物達は一見とても現実離れしているかのようで、それ程の無茶をすることもなく日々の食いぶちを稼ぎ生活している匂いがする。「きょうのできごと」でも学生は学生生活を営み、女の子達はバイトや仕事をしていることがそれとはなく伝わってくる。そういう制約のようなものがあった中で、主人公達はわがままをいい、自由な環境を求め、人との距離を図る。それが「青空感傷ツアー」では生活感を捨て去るところから話が始まり、現実とは思えないような展開が続く。
もちろん、その展開の中でも柴崎友香の持つ視点というのは相変わらず健在であり、一見単なる情景描写のようなものを積み上げているようでいて人物の心の内を描き出している。その描写は、主人公達が完全に非現実の存在になるのを食い止めてはいるが、東京から新幹線に乗った二人は新大阪から自転車に二人乗りをし、トルコに行き、四国へ巡り、更には石垣島へと流れて行く、という展開は既に非現実的だ。
まさに流れていくのだ。「テルマとルイーズ」のように。ローリング・ストーンのように。現実感のなさを不安に思いながらも、自分が現実感を失っていることを忘れようともする一面も垣間見える。例えてみれば、音生が芽衣に言った言葉、学生最後の夏休み、に感じるような現実感のなさ、のようなものかも知れない。
恐らくその感じは、作家柴崎友香が自ら感じたものなんだろう。3年で会社を辞める芽衣というのは、同じく3年で会社を辞め作家となった彼女自身と重なって見えること事実だ。それ故、柴崎友香の描くこの等身大な感じがどこまで変化して行くのか見届けたいと今は思う。
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美人でわがままな友人に振り回されて旅をするうちに、実は自分もわがままでダメな奴だったことが分かって、最終的にはグレーなままでなんとなーくカタルシス、という設定は嫌いではないのだけど……主人公とその友達の性格が好きでなく……理解はできるが賛成はしたくない……
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こんな風にぽんぽん旅行できたら楽しかろうて。
でも実際は現状に甘んじちゃうんだろうな。
芽衣の優柔不断さにはイラっとくるところもあるけど
共感してしまう。音生といるから際立つのだろうか。
誰もが振り返るような美少女に会ってみたい。
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優柔不断で人に頼りがちな子と我儘で決断力のある子。その2人で失恋旅をする。正反対な性格でハチャメチャ感があり、2人で喧嘩が多くイライラするけど、それでもなんとなく2人はどこか息が合っている。読んでいてストレスは感じますが、大阪弁の軽快な語り口もあってか、最後まで読み切れる作品でした。
ええと。柴崎さんの違う作品を読みたいですねぇ。
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音生に比べて主人公の芽衣がどうにもいらいらさせるというか、音生との対比で描かれている分余計にマイナスの部分ばかりが印象に残ってしまう。結局筆者が何を書きたかったのか理解出来ないまま読み終わってしまった。わがままで強気でにくめない美人と言えば、吉本ばななの「TSUGUMI」のつぐみちゃんに敵うものはないと思ってる。