紙の本
現代の美観と先人の苦悩
2005/09/25 02:00
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:後藤和智 - この投稿者のレビュー一覧を見る
私は仙台に住んでいるが、仙台を代表するストリートである定禅寺通は、仙台が「杜の都」であることを象徴するたたずまいを見せている。この通りは、戦後の復興計画の下でできた場所であり、終戦直後の通りの写真と現在の通りを見比べてみると、その変容の度合いのすごさに驚かされる。また、東北の三大祭りにも数えられる仙台七夕も、現在の形で行われるようになったのは終戦直後の昭和天皇陛下の行幸に合わせて伝統の仙台七夕を現在のような形で復興させたのが始まりである。
仙台に限らず、近代における我が国の多くの都市は、自然災害や戦災のたびに復旧ではなく復興を繰り返し、現在の如き街並を造り出してきた。本書はそのような復興の中心を占める復興計画を、東京を中心にその歴史を追ったものである。
我が国の都市計画は、伝統的にオープンスペースが少なく、また街路も狭いため、我が国の都市は数多くの災害に直面してきた。我が国における最初の復興計画は、慶応2年(1866年)に横浜の外国人居留地で大火災が発生し、その後の復興計画として立てられたもので、これに関してはイギリス人の土木技師が設計した。この復興計画において我が国で一番最初の本格的な並木道(日本大通)が開通した。また、日本人の意思による最初の復興計画は、明治11年(1978年)ごろの函館の復興計画で、これは後に第2代目内閣総理大臣となる黒田清隆が行なっている。
また、我が国における都市計画の父として、後藤新平の名前が挙げられる。それまでは、都市計画に関しては条例が存在していたが、大正5年(1916年)頃の都市計画に関する機運の高まりの中で、後藤のリーダーシップによる都市計画の法制化は、大蔵省の反対とぶつかり、国庫の補助が全面削除されるという難点を背負いながらも大正8年に都市計画法が制定される。その4年後に関東大震災が起こるわけだが、その復興計画に際しても、後藤は復旧ではなく復興を目指し、次々と復興計画をまとめていった。そして帝都復興事業は昭和5年(1930年)に完成され、その時期には都市の商工業が発展し、都市人口が増大し、都市計画法に国庫補助が盛り込まれるようになった。
更に1930年代には、防空規定として住居や都市の防災規定が始めて盛り込まれ、火災の広がりを阻止するための機能を想定した大きな街路が計画されるようになり、戦災や阪神大震災などの復興計画によって、主要な都市には大きな街路樹やシンボルロードなどが誕生した。現在立ち並んでいる多くの美観を、それらの復興計画の積み重ねとして見て見ると、都市を見る目も変わるかもしれない。
私は、居住地である仙台はもちろんのこと、盛岡や、札幌、名古屋といった主要な都市を見てきた。その中で私が気になったのは東京の一部の都市計画である。私が歩いた場所だけであると信じたいが、大きなビルが乱立し、自動車道路ばかり広くて歩道は狭く、そのなけなしの歩道でさえも不法駐輪の自転車で更に狭くなっている。さらに最近になって下北沢や秋葉原をはじめとして再開発の問題が発生しているが、計画はその都市の記憶を消し去る形で行なわれてはいけないと思う。更に最近では大資本に「やさしい」形で各種建築法の改正が行なわれているようで、住民の「生活」はそのような大資本に潰されてしまうのか。今一度、本書を読んで、先人の知恵に想いをはせて欲しいものだ。
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緑政学のときに出てた参考文献。
現在の日本の都市がどのように計画されてきたのかを知りたいときに、べんり。
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幕末・明治から阪神大震災までの日本の復興計画について概観できる。(「復旧」とは文字通り元の状態に戻すことであるが、復興とは新たな質と水準を加えること。)
日本がいかに多くの災害を乗り越えてきたか、帝都・戦災復興計画が財政的制約から縮小しつつもいかに高水準であったか、両計画の成果を戦後日本人がいかに食いつぶしてきたか等がわかる。
随所で引用される後藤新平や佐野利器などの発言が熱い。
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まだよんでないけど、今読むべきなんだろうな。きっと。
読んだよ。幕末、明治、関東大震災、戦後、阪神大震災と復興の歴史が語られていた。復興のうまく行ったところ、行かなかったところなどがよく分かる。
都市のなりたちって実はかくれたストーリーがたくさんあるんだな。
東北地方もよりよく復興することを願う。
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[ 内容 ]
日本の都市は街路が狭く、木造家屋が密集し、公園などオープンスペースに乏しい歴史的な都市形態をしていることが多い。
そのため、自然災害や大火などによって甚大な都市災害が引き起こされた。
地震、戦争、そして明治以降頻発した大火で崩壊した諸都市は、どのような復興計画を立案し、実行してきたのか。
安全で暮らしやすい都市環境の整備に知恵と努力を注いだ、近現代日本の復興の歴史を辿り、今後の都市づくりを展望する。
[ 目次 ]
第1章 幕末・明治の大火復興
第2章 関東大震災と帝都復興
第3章 一九三〇年代の都市計画と大火復興
第4章 防空、防火改修、建物疎開
第5章 戦災復興事業
第6章 都市の不燃化、耐火建築の促進
第7章 阪神・淡路大震災の復興計画
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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日本での都市計画、そしてまちづくりは、多くの災害の復興から成り立っている。それにしても法律の整備から予算の調達、そして利害調整など気が遠くなりそうな大変さだ。
だが、その先人たちの努力の結果を今日の我々が享受しているのだ。例えば、北海道の函館を訪れた人々の目を楽しませる夜景も明治時代の大火事の復興の成果だそうだ。
今度の震災の復興でも、多くの困難に立ち向かって行かなければならない。東北そして日本の未来を見つめる為にも、歴史を振り返ってみてはどうだろうか。
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【出会い】
学部時代、生協で見つけ購入したような。震災を機に読みなおし。
【概要】
幕末・明治の大火復興から関東大震災後の帝都復興、戦災復興、そして阪神大震災の復興まで、誰がどのような施策・制度設計を行い、それがいかに現在まで正負の遺産として引き継がれているのか、コンパクトに解説。
【感想】
新書版ながらエッセンスがまとまっている。特に人に焦点を当てている点、その努力あるいは失敗が現在まで残っているという連続性が読んでいて興味深かった。
過去の事例を振り返って、改めて今回の震災はそれらと性格を異にする部分が大きいと認識。
とはいえ、早期に確固としたビジョン・計画・組織・財源が必要であり、実現のため公と私の折り合いをつけていくという部分は変わらないのでしょう。
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2005年の本でしたが、3.11の東日本大震災を受け、改めて読んでみました。復興の歴史に学ぶという姿勢は非常に大事だと思いました。意義深いものがあります。自分の仕事に活かしていければと思います。
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幕末から現在までの様々な災害とその後の復興について書かれた本.
これを読むと後藤新平をはじめとする明治時代の政治家の先見性や,都市計画の大切さがわかる.
東北地方の被災地も,ただ戻すだけでなく,付加価値を与えて復活させる「復興」を目指して行って欲しいと感じた.
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2o11年は東日本大震災で大揺れしたし、1945年は米軍空襲で国土は打撃をうけた。しかし、火山列島の我が国に洪水・台風・大火。被災と復興は住民の自己責任から、公共の福祉に転じた。
都市計画技術者のなかでは明瞭であった「復旧」と「復興」の概念(ii)。被災の大きさで、その概念規定は政治家、そしてメディアにも浸透したかの感がある。
「全国一斉に都市が建設された時代」(iii)という見方がおもしろい。徳川政権創設後の城下町建設と1945年以降の戦災復興をさす
大正8年、都市計画法が制定。関東大震災があって、1930年代は法施行が大都市から中小都市へも拡張される。
都市化の進行ばかりではなく、冷害による農村救済のための道路工事など公共需要が増加したためとする。
石川栄曜(ひであき)氏についても、紹介されている(150&180p)。
都市計画や都市再開発は、技術サイドですすめられる都市経営の領域。背後に国の補助金政策が不可欠。
それぞれの都市ですすめられる具体的な取り組みは目の前に示されていても、理念の形成や助成制度による加速の側面は、当事者以外には見えにくい点を、本書は描きだしてくれている。
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復興について詳しい説明がある。
復興の一貫として防災についても一部触れている。
日本全国津々浦々,参考文献と整理した情報は貴重。
「明治の三陸津波の祭は、、、例外的に宮城県唐桑村大沢集落では、村独自で組合による海岸低地から高台に集落移転していた。その結果,この移転集落は1933年の津波では無事で何ら被害を受けなかったが、海岸に再度移転した數戸のみ被災した。このような個別の集落移転が明治期,宮城県,岩手県の計10の集落で実施されており、昭和の津波の被害を受けなかった。」
「昭和の三陸津波の復興事業として、集落の移転(宮城県では15カ町村,60集落,岩手県では20カ村,42集落)、敷地の嵩上げ,防波堤の整備が、復興都市計画事業として国庫補助により実施された。また危険な海岸地区に建築禁止区域を定めるため、宮城県では海嘯罹災地建築取締規則を県令で制定している(違反した場合には、拘留,科料という罰則規定が付く厳しい取締規則)。」
なぜ、うまく施策が機能しないのだろう。
法律とお金でものを考える癖がよくないのではないだろうか。
残念なのは、参考文献が市販の書籍でないため入手方法が不明なこと。
我が国の歴史をふり返ると,全国一斉に都市が建設された時代が二度存在している。一度目は1600年前後の約30年間,すなわし、信長,秀吉,家康の時代で、城下町が建設された時期である。
...
二度目は1945年から実施された戦災復興事業である。
...
つまり、日本の都市の多くは安土桃山・江戸初期と戦災復興事業の二度の都市づくりによってできあがったといっても過言ではない。
江戸,明治に大火があった。
都市計画法
まちづくり交付金
後藤新平
東京市政調査会
関東大震災
日本建築士会
日本鉄鋼境界
日本工人倶楽部
都市研究会東京地学協会
土木学会
道路改良会
大日本私立衛生会
建築学会
工政会
港湾協会
庭園協会
市政講究会
機械学会
帝都復興連絡協議会
第一次大阪都市計画事業誌
1919年 道路法,街路構造令、道路構造令
1945-1955
都市計画税の廃止と道路整備特別会計
戦災復興事業の見直しとそれに代わる都市改造事業の創設
街路構造令の廃止と新道路構造令の制定
先人に聞く大阪府の都市計画 1999
第二阪神国道工事誌
戦災復興誌 都市計画協会
大阪 築港深江と船場
街路計画標準
広路または広場を配置し,都市の防災並びに美観に資すること
街路の配置に当たりては視観を重視し、建造物,公園,山嶽等を背景とする美観道路を配置すること
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復興、あるいは防災のための都市計画といったことの、明治以来の流れについて、横並びで眺められるのが面白い。発想、制度、実行力、成果といったことについて、各時代のことを振りかえって評価できるかのよう。
東京にとっては震災復興の成果が大であり、戦災復興はほとんど失敗に終わった、くらいにおもっていたけれど、東京はさておき、各地に与えた戦災復興のインパクトは大きかったのだ、と認識。
また、地方の頑張りしだいで地方の活力(都市づくりの成功度)がきまる、という現代の傾向は、戦災復興や、その前の1930s頃からだなぁとも知った。
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街に対する新たな視点。これを持って街歩きをする。
多くが忘れ去られている教訓。
・防火のための道路拡幅
・都市計画法の生い立ちにおける縮小。予算と規制権限
・東京市民によるものとして発起した関東大震災からの復興
・1930年からの平時の都市計画への財源確保
1.郊外における街路網の決定
2.駅前広場と高度利用の計画
3.郊外地統制と区画整理
4.大都市膨張抑制のためのグリーンベルト計画(〜緑地)
・災害復興の国庫補助(受益者負担の限界)
・戦災復興における国の関与、予算化の経緯
・国有地の緑地化と維持・継承
何をどんな段取りで、いつ頃までに決めるのが良いのか、これまでの経験から大まかな指針をつくることはできないか。