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あえて「人生を変えた一冊」を挙げるとしたらきっと『深夜特急』だろうというほどに、僕にとっては青春の一冊であり、世界に目を向ける原動力であった本です。高校3年のある日、図書室で、まるで呼ばれたかのように偶然手に取りました。図書室で毎日受験勉強をしながら、合間合間に裏のソファーで読みふけっていたなあ。
今でも読み返すたびに、未知の国々を旅する自分をひたすら想像していたあの頃の自分が、懐かしく思い出されます。
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前に行く旅に色んな世界が剥き出しになってくる。世界は広いなと改めて考えさせられる一冊です。自分から相手、相手から見た自分。出会い、別れ、すれ違い、凝縮されてます。
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旅も中盤。それゆえの旅慣れた自分への戸惑いがあり、旅を楽しめなくなってしまった。この場所が何か違うんじゃなくて、自分が変わってしまったんだと気づく。心の移り変わりが素直で、とても人間味あふれた人だなと思った。
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第2便では、インド、ネパールへ向かいます。
ついに体調を崩した沢木先生が心の余裕を失っていく様子は、一人旅の孤独を浮き彫りにします。
これらの国では貧富の差が激しいため、同じアジアの国でありながら、金銭面はもちろん、人命の価値観の違いに考えさせられました。
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アシュラム、カトマンズ、べレナス、パキスタン、イラン。べレナスでは死体焼場をみて、それをきっかけに体調を崩す。親切とは。
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インド>カトマンズ>インド>シルクロードと続く旅。
バクシーシをしない理由は、バクシーシをし始めたらキリが無いからと思っていたが、結局は自分は吝嗇家だったと気付いたから。でもそれは全てと言う訳ではなく、自分がしたい時にバクシーシをすればいいし、したくないならしないでもいい。何かから解放された、解決方法だと思う。
時間は自由にある。束縛はない。だがそれは自由を満喫できるのだろうか?一人暮らしをしていると、自由な時間はたくさんあるけど、遊びに行くお金が無い。それと同じような感覚だったりするのかな?
何度もかくようだが、私はこういう旅はもう出来ない。
若い時でも出来たかは微妙だ。
この第二便の最後に『ペルシャ逸話集』のなかの『カーブース・ナーメ』の『老齢と青春について』という章があるのだがそれは心に残る。
若いうちは若者らしく、年を取ったら年寄りらしくせよ
確かに確かに。
この旅しかり。私の旅もしかり。
老いたら一つ場所に落ち着くよう心掛けよ。老いて旅するは賢明ではない。特に資力無いものにはそうである。老齢は敵であり、貧困また敵である。そこで二人の敵と旅するは賢くなかろう。
老いても旅したい!!!
資力があれば、どうにでもなるような気がする。
資力をつけて優雅な旅をしたいな。
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2作目。第一便よりも内容はハード。日本から離れてから大分月日が流れている事もあってか、孤独感が端々に見えてきているのがよりリアルに感じる。次作が早く手に入れないかなぁ。
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ハードカバーの深夜特急シリーズの第2弾。本書では、インド、ネパール、パキスタン、アフガニスタン、イランでの旅が取り上げられている。
第一便のタイやシンガポールの旅では香港の幻影から逃れられずその土地の良さを感じることのできなかった著者であるが、インドに来て息を吹き返した感がある。自分が行ってみたいかどうかは別にして、やはりインドは魅力にあふれた国ではあるなと感じた。
本書では、特に、「第9章 死の匂い」での死体焼場での情景が印象に残った。普段、心の奥底に封印してある死に対する恐怖とも何とも言えない念が呼びさまされ、著者の感慨がよくわかるように感じた。
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大学時代に行った1ヶ月半の旅を思い出す。あの時の自分にはたくさんのことが見えていなかったのかもしれない。それはいまも、この生活においても。存分に自分と向き合い、人と暮らす、孤独で自由な旅。どこか行きたくなる。
『もし恵んであげたいと思うのなら、かりにそれが最後の十円であっても恵むがいい。そしてその結果、自分にあらゆるものがなくなれば、今度は自分が物乞いをすればいいのだ。誰も恵んでくれず、飢えて死にそうになるなら、そのまま死んでいけばいい。自由とは、恐らくそういうことなのだ…。』
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ヒッピーたちが放っている饐(す)えた臭いとは、長く旅をしていることからくる無責任さから生じます。彼はただ通過するだけの人です。今日この国にいても明日にはもう隣の国に入ってしまうのです。どの国にも、人々にも、まったく責任を負わないで日を送ることができてしまいます。しかし、もちろんそれは旅の恥は掻き捨てといったたぐいの無責任さとは違います。その無責任さの裏側には深い虚無の穴が開いているのです。深い虚無、それは場合によっては自分自身の命をすら無関心にさせてしまうほどの虚無です。
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第二便のメインであるインドはとにかく異次元すぎて、いずれかはと思っていたインドへの旅行をかなり萎えさせた。
インドを訪れると住みたくなるくらい嵌る人と二度と行きたくないと拒絶する人との二極に別れると聞いたことがあるけど自分は後者かも・・・。
とりあえず脳内で度は続いている。
第三便が楽しみ。
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きれいは汚い、汚いはきれい。
社会の裏表が同時に存在するインドにおける沢木耕太郎の心の機微が印象に残った。
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文章も綺麗で、旅の状況が目に浮かぶような本。
ただ、旅の本であり書かれた時が古いので、かなり今とは違うかもしれない。
そう思うとなんか微妙だった。
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1974年、27歳の沢木青年の旅はインドのカルカッタから、インドの各聖地、ネパール、パキスタン、アフガニスタン、そしてイランへ。実はこの時代はまだアフガンにせよ、イランにせよ後のイスラム原理主義による不自由な国ではない。インドではあまりにも混とんとした貧しい国の描写に驚くが、戦後直後の日本を思い出すのも当然かもしれない。ヒンズーの聖地ベナレスの人や動物の死体と沐浴が混然としている町の様子は壮絶!カジュラホのドミトリー(共同寝室)で出会った2人の美しいフランス人女性、カルカッタで会ったネパール人青年、ポーランド人ヒッピーその他多くの人たち、特に世界各地の人との出会いの話が生き生きと描かれて面白い。
このことは著者自身が書いている次の言葉のとおり切実に感じる。
「(P222)私たちは行く先々で人の親切を「食って」生きているといってもよいくらいだった。「食う」という意味は二重である。ひとつは、文字通り人から親切によって与えられる食物や情報が、旅をしていくために、だから異国で生きていくために必須だということ。もうひとつは、人々の親切が旅の目的そのものになっているということ。つまり私たちのようなその日ぐらしの旅人には、名所旧跡などどうでもよくなっている。重要なことは一食にありつくこと、一晩過ごせるところを見つけることでしかなくなってしまうのだ。だからこそ、人が大事だと思うようになる。 旅にとって大事なのは、名所でも旧跡でもなく、その土地で出会う人なのだ、と。そして、まさにその人と人との関わりの最も甘美な表出の仕方が親切という行為のはずなのだ。ヒッピーとは、人から親切を貰って生きていく物乞いなのかもしれない。」
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