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紙の本
宮本常一に通じる地を這う取材
2008/04/28 01:40
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ナンダ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ノンフィクションの手法を具体的な取材に即して開陳している。時間と労力をかけた緻密な取材と独特の切り口をみつける能力に圧倒される。
「小文字で書く」と著者はいう。「エコロジー」「地球にやさしく」といった「大文字言葉=常套語」をつかうと、わかったような気にさせるが細部はさっぱりわからないからだ。
東電0L事件で筆者は、被害者の女性が、生まれて死んで墓にはいるまでの軌跡をすべてたどった。
事件当日の足取りをたどると、時間的にネパール人による犯行は無理だったことがわかる。逮捕されたネパール人の友人をネパールにたずねると、警察での拷問まがいの尋問の実態があきらかになった。
地裁の無罪判決で本来なら釈放されるべきなのに、高裁は「拘束」の決定をくだす。その裁判官の過去をさぐると、ひどい判決を連発していた。実はこの裁判官はかつては青年法律家協会の活動家で、その後「転向」していた。その心の傷がトラウマになっていたのではないかと推測する。
戦後直後の生活綴り方運動の象徴とされる「やまびこ学校」の卒業生を追うルポでは、無着成恭が40年前に山形の山村で教えた43人の卒業生を1人1人訪ねる。
「いつも力を合わせよう」「かげでこそこそしない」「働くことが1番好きになろう」「なんでも何故? と考えろ」……という教えを得て、生き生きとした作文を残して社会にでた子供たちは40年後、ある人はタクシー運転手となり、ある人は住所さえかくして暮らし、ある人は苦しみながら農業をつづけていた。
「やまびこ精神」は、高度成長にともなう農村崩壊と、偏差値教育によって粉砕されてしまったのだった。その結果、現代の子供たちの書く文章は「ブロイラーのように没個性になってしまった」と嘆く。
佐野は、宮本常一を師とあおぐ。宮本は、肩書きらしい肩書きを持たずに全国各地を歩き、民家に泊めてもらい、話をきいてまわった。
宮本は父親から「汽車に乗ったら窓から外をよく見よ」「乗り降りする人の服装に気を付けよ」「はじめての場所では高いところにのぼってみよ」「人の見残したものをみよ。自分の選んだ道をしっかり歩いていくことだ」……と教えられていたという。宮本がそうしたように、佐野もそれを踏襲している。
紙の本
ノンフィクションの心意気
2003/01/12 00:56
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:PONGSOO - この投稿者のレビュー一覧を見る
「東電OL症候群(シンドローム)」が僕のノンフィクションと佐野眞一との初めての出会いだった。そして「東電OL殺人事件」「ニッポン発情狂時代」「カリスマ」「だれが本を殺すのか」と立て続けに彼の本を読み進めていった。彼の本が発信する情報(いや状況といった方がいいかもしれない)は僕に実体を突き付け、時代・人物をえぐりとっていた。
絶妙に数多くちりばめられる証言、引き込まれていく情景描写・人物描写などなどと、よくぞ歩いて探して見て聞いて、と感嘆させられる。
この本は、佐野眞一が時代・人物をえぐるために何ゆえに細部にこだわるのか、何ゆえにそのテーマ・モチーフを選ぶのかといった事を、あたかも彼の取材談話を居酒屋で聞いているかのように、隠され蓋をされ奥に潜むモノを伝えてくれる。
紙の本
3冊目の「宮本常一」本
2001/12/10 06:50
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:三中信宏 - この投稿者のレビュー一覧を見る
読んでよかった.タイトルだけを見ると,何か本書き向けの「ハウツーもの」のように思えてしまう.しかし,内容的には,むしろ『旅する巨人』,『宮本常一が見た日本』に続く,3冊目の「宮本常一」本とみなすのが自然だろう.ノンフィクションを民俗学ととらえることにより,宮本民俗学の理念と方法を現代のノンフィクション執筆にどのように活かせるのかが,著者の過去の著作を次々に例に取って示される.最初に立てた仮説をいかにして立証するか,それをどのように深めるか,について著者の率直な意見を聞くことができる.
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【目次】
プロローグ 7
第1章 あるく調査術,みる記録法 13
第2章 語り口と体験 51
第3章 仮説を深める 85
第4章 取材から構成,執筆へ 117
第5章 疑問から推理までの道のり 149
第6章 現代の民俗学をめざして 185
エピローグ 233
紙の本
「小文字」の力、「大文字」の力
2001/11/18 15:16
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:小田中直樹 - この投稿者のレビュー一覧を見る
佐野さんの名前を知ったのは、数年前に書店で『遠い「山びこ」』(文春文庫)を目にしたときだった。山びこ学校の元生徒たちを探し出し、彼(女)たちの半生を互いに重ね合わせながら、庶民の目から見た日本の戦後史を浮かび上がらせるっていう力業に唸りながら、一気に読みおえた。そのあと佐野さんは大作を次々に発表しては論議を呼び、ノンフィクション作家の第一人者になった。この本は、そんな佐野さんが自らのノンフィクションの書き方を語ったものだ。それだけでも面白そうだけど、この本は民俗学者「宮本(常一)に触発された」(八ページ)ものだそうだ。ノンフィクションと民俗学の取り合わせもあやしいし、ちょっと前に宮本常一の代表作『忘れられた日本人』(岩波文庫)を読んで、何が面白いのかわからなかったところだったので、僕の期待はふくらんだ。
この本のなかで佐野さんは、これまでの仕事を振り返りながら、ノンフィクションをどのように書いてきたか、良いノンフィクションとはどのようなものか、この二点を説いた。このうち第一点については、正力松太郎の伝記を執筆するのに十年かけたとか、東京電力OL殺人事件の真相を追って容疑者の母国ネパールの奥地まで足をのばしたとか、驚いたり唸ったりするようなエピソードが次々に登場する。佐野さんはノンフィクションを「固有名詞と動詞の文芸」(一〇ページ)だっていうけど、そのためには精神と肉体の両面の体力が必要だということが改めてわかった。これだけのエネルギーを使ってはじめて、説得力や賛否両論を巻き起こす力が作品に生まれるのだろう。僕は圧倒された。
でも、体力勝負でむやみに情報を集めたところで、良い作品になるわけじゃない。佐野さんによれば、「情報と情報を人間観や歴史観の紐でバインディング」し、「衝突させることで、情報ははじめて物語を動かす歯車となる」(一二三ページ)。ノンフィクションだって、作者の思想や個性が問われる点に違いはないのだ。ここで宮本常一が出てくる。経済的な豊かさと精神の劣化をもたらした高度経済成長は日本戦後史最大の事件だと考える佐野さんにとって、ノンフィクションの任務は普通の「個々人が抱える重みを重みのまま伝えること」(一九三ページ)にある。これを佐野さんは「小文字で書く」(一九七ページ)って表現するけど、小文字の世界を小文字で書くことの大切さをいち早く理解し、実践したのが宮本常一だった。『忘れられた日本人』を深く読めばこんなことがわかると教えられて、ここでもまた僕は圧倒された。
でも、小文字の世界と、それと対をなす政治や経済などの大文字の世界との関係をめぐる佐野さんの説明には、僕はひっかかるものを感じた。佐野さんは一貫して大文字を否定し、小文字の大切さを訴える。大文字で書くのは大上段に振りかぶってるだけであり、大文字の世界はうさんくさいのに対して、小文字で書くとは誰にでもわかる生きた言葉で語ることであり、小文字の世界にこそ神は宿りたまう、というわけだ。でも、小文字(または大文字)の世界を書くことと小文字(または大文字)で書くこととは違うし、佐野さんも、ダイエーの創業者とか読売新聞中興の祖とか「冷めたピザ」と呼ばれた元首相とか、小文字の世界とは縁がなくなった人たちについて書いてるし、佐野さんが紹介する宮本常一は小文字の世界に接することによって大文字の世界の本当の意味を鋭く嗅ぎとる人だった。つまり、大文字と小文字を単純に対立させたうえで一方を選ぶんじゃなくて、大文字のなかに小文字を読みとり、小文字のなかに大文字を聞きとることが大切なのだ。これまでの佐野さんの仕事もそのことを証明してるように思える。佐野さんもそう考えてるのかもしれないけど、それにしてはちょっとわかりにくかった。[小田中直樹]
紙の本
佐野眞一によるノンフィクション入門であり、佐野眞一のノンフィクション入門でもある
2012/03/26 14:47
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サトケン - この投稿者のレビュー一覧を見る
ノンフィクション作家の佐野眞一が2001年に書いた「ノンフィクション術」。これはスキル面に重点を置いたハウツーではなく、自分の問題点を深掘りし、自分だけの「切り口」を見つけるためのマインドセットをどう自分のなかにつくりあげるかについて、自らの経験をもとに書いたものだ。
著者自身が解説した、佐野眞一のノンフィクション作品の読み方についての本でもある。ある意味では2001年時点での佐野眞一によるノンフィクションの入門書になっている。
佐野眞一のノンフィクションの読者にとっては、舞台裏を知ることができるとともに、読者自身の読みと著者の思いの一致やズレを知ることもできる。なによりも、2012年の時点からノンフィクションで取り上げられ、切り取られた時代の断面を未来からのぞき込んでいるような不思議な感覚も感じるのは、出版後10年以上たってから読む者がもつ感想であろう。
宮本常一という民俗学者の作品と人生にインスパイアされたノンフィクション作品の数々。宮本常一が故郷の周防大島を出る際に父親からさずかったという教えが本書に引用されているが、じつに味わい深いものだ。佐野眞一にとって宮本常一はノンフィクション作品のテーマであるだけでなく、つねにインスパイアされる・・でもあることがよくわかる。
好き嫌いの分かれるノンフィクション作家であろうが、戦後日本大衆史を描き続けてきた佐野眞一の「中間報告」として読んでみるのもいいだろう。もちろん、ノンフィクションの書き方についての一つの入門書としても読めるものになっている。