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紙の本
飢饉を記し、根底に優しさが窺われる。
2002/07/31 13:16
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投稿者:凛珠 - この投稿者のレビュー一覧を見る
江戸時代は常に飢饉があったわけではない。しかし、飢饉ともなればこの世の地獄の観を呈し、困窮民は江戸へ米を求めて流れ込んだ。飢饉の原因には、まだ酷い飢饉となる前に藩が米を自領に抱え込んだ為に、もっと困窮した藩に米が入らなくなったりと、為政者の責任も大きかった。武士も決して贅沢をしていたわけではなかったのだが、それは当時の人間が殆ど貧しかったという意味である。飢饉の時、農民は飢え死にしても、武士はそこまで苦しくなることはあまり無かった。
飢饉で荒廃した村に女性が不足となると、藩は他の土地から女性を買い入れ、それぞれの村の妻のいない男に売ったという。酷い話ではあるが、売春宿に売り飛ばされるよりは遥かにマシであったろう。「遊里文化をもてはやす前に、餓死を迫られた人々の悲痛な思いを見過ごすことはできない」という菊池勇夫氏の文章には感動させられた、当たり前のことであるが、当たり前のことが出来ていない人間がいかに多いことか。かつての奴隷制売春組織の存在には様々な要因があるが、まず第一に挙げられるのは貧困であろう。貧困は悲惨だ。近世史を学ぶ時、文化の華やかさだけではなく、こうした暗部も絶対にわきまえねばならない。