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紙の本
クジラは日本人にとって“文化”であった
2003/07/05 16:47
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投稿者:安之助 - この投稿者のレビュー一覧を見る
小学生の頃、給食ではクジラの竜田揚げが好物だった。高校時代の学食では酢豚ならぬ“酢クジラ”が、週1ぐらいで日替わり定食のメニューになったものだ。大学に入ってからは、飲み会の酒の肴の定番は、クジラのベーコンを辛子醤油につけて、だった。そして、家で食べる“ステーキ”はビーフではなく、断るまでもなくクジラである。だが、それも昔のことだ。それらを私が口にしなくなってから、どのくらい経つのだろうか。あまりの経過のため、自分でも正確には分からないが、少なく見ても20年前後だろう。
国際世論は反捕鯨である。だが、日本にとっては古くからの“文化”である。それぞれの民族が育んできた文化は尊重すべきである。それは立場が変わっても同じだ。にもかかわらず、米国政府と環境保護団体はクジラを環境保護のシンボルとして、反捕鯨を叫ぶ。
もちろん乱獲はよくはない。だけれど、クジラは再生可能な生物資源なのだ。そして、場合においては捕獲を必要とすることもある。クジラはその巨体ゆえに、必要とするエサの量も半端ではない。したがって、増えすぎると、生態系のバランスを崩す危惧がある。そして、既に危険水域に入っているともいわれている。
しかし、反捕鯨諸国は日本に対して不信感を露わにしている。調査捕鯨といったって、本音はクジラを捕りたいのだから、「増加している」とのデータは信じられないという。日本を始めとする持続的捕鯨推進国は、「反捕鯨国は、最初に、反捕鯨ありき」だと辟易している。
だが、有力反捕鯨国も最初は捕鯨国だった。ペリー来航の最初の目的は、捕鯨船の薪水補給基地を確保するためである。とりわけ三陸沖はマッコウクジラが集まったので「ジャパン・グラウンド」と呼ばれ、イギリス、フランスも競って捕りまくったのだ。マッコウクジラは油が良質の上に、捕獲しやすかったのだという。
それらの国が日本とは違う決定的な点は、鯨油しか必要としなかったことだ。日本は沿岸漁業でその上「棄てるところがない」ほど利用する。あらゆる部分を食用に工夫するのはいうまでもなく、骨は工芸品、日用品に使った。それは「文化」である。対して、米国は太平洋をまたに掛けて、鯨油をとるためだけに捕獲して、採油の後は“かす”を海上に棄てていった。消耗品だ。
そういう国の人たちに「理解して下さい」と望むのは無理なのだろうか。当初、乱獲を抑えるために国際捕鯨取締条約(ICRW)が締結(1946年)され、その執行機関として国際捕鯨委員会(IWC)が設立(1948年)された。しかし、捕鯨の秩序のためのIWCがいまでは捕鯨禁止のための機関と様変わりしている。
私自身は、20年ほどもクジラを食べていないのだから、これから後も食べないで済ませられる。だが、生活文化になっていた地域はどうだろう。文楽人形や、からくり人形のバネやゼンマイを作るのにはクジラのヒゲが欠かせない。伝統芸能の文楽が思わぬところに落とし穴があって、絶滅の危機にさらされている。