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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2000.12
  • 出版社: 岩波書店
  • サイズ:21cm/168p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-00-002392-6
  • 国内送料無料

紙の本

予兆としての写真 映像原論

著者 港 千尋 (著)

カメラによって記録された映像は過去に属しているのではない。そこには未来が潜在している。イメージと言葉による探究の、新たな地平へ。映像のダイナミズムを写真家自身の創造現場か...

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予兆としての写真 映像原論

税込 3,080 28pt

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商品説明

カメラによって記録された映像は過去に属しているのではない。そこには未来が潜在している。イメージと言葉による探究の、新たな地平へ。映像のダイナミズムを写真家自身の創造現場から問い直す。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

港 千尋

略歴
〈港千尋〉1960年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。多摩美術大学助教授。写真家、批評家として東京を拠点に活動。著書に「群衆論」「考える皮膚」、写真集に「波と耳飾り」など。

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紙の本

新たなる映像の世紀の始まりを照らし出す

2001/03/08 15:15

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投稿者:井上真希 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 たとえば、カヴァーとなって本書を覆っている海は、どこで撮影されたものなのか。激しく逆巻く波の彼方に、細く延びた陸地と、その突端には灯台のような影も見える。とすれば、そこは外海なのだ。
 トビラをめくると、「Presages」と題された一連の写真作品が現れる。舗装された路面に紐のような影を落とすコールタールか油とおぼしき染み、かろうじていくつかの単語——「Decouverte(発見)」「l’eglise St. Jean(聖ヨハネ教会)」など——が読みとれる文の印刷された紙片を浮かび上がらせる石壁のひと隅、長い年月の間に摩滅して瘢痕が陰影を刻む石の床、無数の足し算が落書きされた壁、何事か異変を聞きつけたのか海岸に集まり、雨のなかを傘をさして佇む人々の群れ……。
 その33点の作品のうちの32点めとして、件の海が姿を現し、カヴァーはこの写真の一部をトリミングしたものだったことが分かる。波が押し寄せる砂浜と灯台のある陸地を見下ろす湾の対岸の、足元に草木が茂る高台から撮影されたものらしい。クレジットによれば、それは1997年のビアリッツ、スペインとの国境に近いフランス、ピレネー=アトランティック県の街だ。著者は大西洋岸に立っていたのである。しかも、海水浴場や保養地として知られるその岸辺を、波が荒く寒々しい瞬間に訪れていたのだ。

 このように、一枚の写真には、撮影の背景を推論させる「痕跡」が残されている。それを解読することは、森のなかの足跡から獲物が近くにいることを推測する狩猟的な知に連なるものだが、写真家がある予感から被写体に近づいてスナップショットを行うこと、直感のもとにシャッターを切る瞬間がすでに、その身体感覚や身振りも含めて、狩猟的であると同時に易占的、探偵小説的知からなる推論的パラダイムの流れを汲んでいる。
 本書のなかで著者は、そうした「結果のなかに見られる子細な手掛かりから原因を推論する道」「知性と偶然によりなされた予期せぬ発見」としての「セレンディピティ」を、写真家としての作品と、批評家としてのテキストの双方から私たちに提示し、スナップショットを撮り続ける著者が追求してきた方法論から出発して、過去に撮影された写真を他者が目にするとき、そこに新たなイメージが生成すること、すなわちイメージは未来の予兆をはらんでいることを解き明かしてゆく。

 「未来の光と影」の章の終わりには、こう書かれている。「映像は渦を巻きぶつかり合いながら、沸騰している海に似ている。海の底で起きていること、心のなかで起きていることは見えないけれど、わたしたちは映像的な経験がときに波飛沫となって、記憶や感情を伝えることを知っている。その海をゆく旅に、終わりはない」。
 著者が撮影した沸騰する海を「光によるインスクリプション」としてとらえるとき、その映像が何を想起させ、どんな物語が紡ぎだされるかは、それに目を凝らす人間の内面にある。
 写真の歴史は160年前に遡るが、光から記憶へと、映像の新たなる世紀の始まりを、本
書は灯台のように照らし出している。 (bk1ブックナビゲーター:井上真希/翻訳・評論 2001.03.09)

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