| 『歌舞伎』/我妻俊樹さん |
子供の頃、砂場で古い乾電池を拾ったことがある。表面を錆におおわれた、たしか単三の電池で、さんざん玩具のトラックの積荷にして遊んだのち砂に埋めて家に帰った。翌日掘り返そうとしたが見つからなくて、それきり何となく記憶には残っていたのだ。
そういえば兄貴、昔公園で乾電池拾ったよねえ。去年の暮れに帰省した折、弟が突然そんなことを言い出す。よく覚えてるなあ。と私が驚くと、だっていつも持ち歩いてたじゃない、ポケットに入れて。俺狙ってたんだけど全然手放さないからさあ、と苦笑している。
私の記憶とは食い違うが、些細なことなので聞き流していたら、あの電池欲しかったよなあ。と弟はしつこいくらい繰り返すので、だんだん変な気分になってきた。
弟によれば、当時うちにはこわれたラジオがあった。これは私も覚えている。電池を交換しても鳴らないラジオだが、なぜか箪笥の引き出しにしまわれていた。このラジオが、私の乾電池を入れたときだけ息を吹き返したというのだ。
弟にラジオを取ってこさせると、私がポケットから錆びた電池をもったいぶって取り出す。われわれの目当てはテレビでやらない野球中継だったが、チューニングをいくら回してもそれらしい放送はとらえられなかった。かわりによく入る放送局がひとつあって、そこではいつも性別の不明な声が「歌舞伎」をやっていた。今思えばロシアかどこか外国語の放送なのだが、喋り方がまるで日本の歌舞伎みたいだったというのだ。
何だそれ覚えてないなあ、と私が笑うと、だけど兄貴すごく気に入っちゃっていつも物真似してたじゃん。と弟。
私はやはり思い出せないし、うまく想像もできないでいると弟が、酔った勢いなのか、兄貴はもっとずっと上手かったんだぜえなどと言いながら真似をし始めた。
肺の奥から引きずり出すように意味不明の音を唸っている。
だがその声に歌舞伎を思わせるところはどこにもなく、私はいやな寒気だけを感じた。
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