| 『ラジオから』/カイロさん |
木曜の深夜にはお気に入りのラジオ番組があります。この日もそれを聞こうと、遅くまで起きていました。そろそろ時間だな、と思いラジオのスイッチを入れました。周波数は、ばっちり合っているはずなのに、雑音しか聞こえてきません。おかしいと思いながらも選局のツマミをいじったり、アンテナを傾けたりしていました。すると、雑音の中から男の掠れた声が聞こえてきました。
「きょうだいのした…ぬらしてくれ…10分以内」
気味の悪い声で、その一言だけです。そして再び、ザザザ…という音が広がりました。
それを聞いた私は、突然、とてつもない不安に襲われました。この言葉に従わなければ、大変な事になってしまう、そう思ったのです。まるで呪縛にかかったかのようでした。そこで私は行動を起こしました。
隣の部屋で寝ていた弟の口を開け舌をひっぱり、ペットボトルの水をザバザバとそそぎこみました。
びっくりして目を覚ました弟は、烈火のごとく怒りましたが、なんとかなだめて、部屋に戻りました。
つけっぱなしだったラジオからは、お気に入りの番組が普通どおりに流れていました。
私は布団に寝そべりながらラジオを聞きはじめました。
しばらくすると、頭の上の方からひんやりとした空気が流れこんできました。
寝転んだままのけぞるように見上げると、布団の直線上に置いてある鏡台の下に男の顔がありました。そしてラジオから、さっきの声がしました。
「ぬらせといったろ」 |
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| 『換気扇の声』/村上ネコさん |
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女性の声が風呂場の換気扇から聞こえてきます。会話というより、一人で淡々としゃべっている感じです。内容は聞き取れません。新居に引っ越した日の夜でした。このマンションに賃貸で入居して十年目、住み心地が気に入って部屋を購入したので、新居とはいえ、建物の構造は熟知しています。以前の部屋ではないことでした。夫に確かめると、「エッ、あの人まだしゃべってるの?」 声は毎晩、聞こえてきました。そして3日目か4日目の昼過ぎ、疲れてうたた寝していた私は、生まれて初めて金縛りにあいました。足をつかまれて、寝室の入り口へ引きずられていく感覚
― 寝室のドア脇には風呂場があります。それでも、霊感ゼロの私は「面白い体験をした」としか思いませんでした。実は、もっと現実的な問題が起きていたのです。突然、見知らぬ男性から「以前にお宅の部屋に住んでいたTさんを知らないか」としつこく尋ねられました。そのTさん宛ての消費者金融のDMが郵送されてきます。「もう結論を出す時期です」、「至急連絡せよ」と殴り書きした葉書も混じっています。それより不気味なのは、Tさん本人からの小包が頻繁に届くことでした。どれもデパートから発送された高級食料品で、「自宅宛」扱いで我が家の住所が書いてあるのです。マンションの管理組合に相談したところ、Tさんは以前の家主と賃貸契約していた人物で、駐車場料金を滞納するなどのトラブルが元で、夜逃げ同然に出て行ったと分かりました。しかも呆れたことに、その引越し先は、すぐ隣の公団アパートなのです。我が家にケチがついた気分でした。その夜、湯船につかって例の話し声を聞きながら、思わず「ここは私の家なんだからね」とつぶやいた途端、風呂場の照明がぱっと消えました。悲鳴を上げて裸で飛び出しました。でも、それだけ。それ以来、声はぴたりと止みました。風呂場の照明が消えることもありません。Tさんは今も、近所に住んでいます。 |
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| 『僕を強い男にしたくってあんなところに放り出したんだろうがもういやだよ』/よっちゃんさん |
札幌から車で二時間かかった。山中のリゾートホテル。雨が正面の石畳をたたいていた。窓越しに濡れた半裸の彼が見えた。傘を差しかけた和装の女性が寄り添っている。
かあさん、家へ帰ろうよ。あそこの連中は気味が悪くてとても我慢ができないよ。最初の夜からだよ。僕の耳元で大声出して、クスリを無理やり飲ませるんだ。小さい部屋に閉じ込めて僕が眠ったら食おうと隣室で聞き耳を立てているんだよ。電話に盗聴器が仕掛けてあるし。女が部屋へ入ってきてさ、いやらしい臭い。朝になったらデカイヤツとフトイヤツに腕をつかまれて、車で別の場所に連れて行かれたの。メスたちがね、僕のところに押し寄せてやたらに手を触るの。気絶して、気がついたら、また別の部屋で。そこでくくりつけられていたんだよ。血を抜かれて。無我夢中でヒモを引きちぎって逃げ出して、ここどこ?
朝9時過ぎ、赴任したばかりの新入社員が倒れた。すぐに救急車で病院に運んだ。過労による貧血でリンゲル注射。まもなく病院から、彼が突然それを抜き取って逃走したと電話が入った。そして昼過ぎに今度はこのホテルから、彼が上半身裸になってロビーを駆け回っているとの通報があった。私は東京の彼の母親へ事情を説明した上で車をとばしてきたのだ。
昨晩、独身寮では彼の歓迎会が遅くまで賑やかだった。部屋の電話が壊れていたことに腹を立てた。朝は顔色が悪いからと同僚がタクシーで支店まで連れてきた。女子職員からもてていた、そんなことがあったらしい。
「支店長、あの人はお母さんですかね」
「年頃からは母親だろうよ」と言いながら
なぜ、いま、この場所にいられるのだろうと私は首をひねった。
車を降りる前に本社の人事部へ電話をした。
これほどひよわな大卒を配属した理由が知りたかったからだ。
ややあって人事部長が電話を代わった。
「おい、そういう男は採用していないぞ」
雨がひとしきり激しくなって、母子の姿が見えなくなった。 |
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| 『こっくり婆(ばあ)』/じがさん |
私が小学生の頃、校舎の隣に駄菓子屋さんがあった。
そこにはいつもひとりで店番をしている、“こっくり婆”と呼ばれるお婆さんがいた。
こっくり婆は、受け答えが全てこっくりさんという風変わりなお婆さんで、誰も彼女の声を聞いたことがなかった。しかし、そのこっくりさんはよく当たるため、誰もがそれを本来の名前のようにこっくり婆と呼んでいた。 そんなある日、私と友達のT子はいつものように駄菓子屋へ向かうと、こっくり婆否定派であるAくんらのグループが店の中へ入っていくのが見えた。とっさに私たちは身を潜め、中の様子をうかがった。
Aくんは、こっくり婆と二匹の猫の出迎えもそこそこに、こう切り出した。
「これってさあ、こっくりさんが動かしてるの?」
Aくんの視線の先には、骨ばった細い人差し指が10円玉に添えられていた。次に「いらっしゃい」と書かれたところにあった10円玉は、「いいえ」を指した。
途端、Aくんらは喜びの声をあげた。
「やっぱりインチキだったんだ」
しかし、こっくり婆は「いいえ」を指したまま首を横に振った。
「でも、この10円玉はこっくり婆が動かしてるって答えたじゃん」
と、Bくんが食って掛かると、またこっくり婆の指が動き出した。
「こ、え、を、き、く。……誰の?」
すると10円玉は真ん中の鳥居で止まった。それの意味するものに、Aくんらはどよめき立つ。
「け、けど、僕らには聞こえないよ?」
Cくんが恐る恐る聞いた。
10円玉は「き、き、た、い、か、い」と指した。
「えっ――!?」
異様な空気が店内を満たし始めた。
外にいた私たちも、言いがたい不安に襲われた。そしてたまらずその場を後にした。
学校のグランドまで行くと、脇の道をAくんらが血相を変えて走り抜けていくのが見えた。
それ以来、私たちとAくんらは二度と駄菓子屋へ行くことはなかった。
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| 『Sさんから聞いた話』/黒塚生成さん |
そもそもの発端は、おかしな話に聞こえるが、Sさんの一人息子がトイレの水を流さなくなった事だという。来年には小学校に上がる男の子だ。それまでは何の問題もなく、一人で用を足せていたはずなのに。何度しつけても治らず、厳しくしかると、ついにはパンツもズボンもはいたまま漏らしてしまうようになった。
カウンセラーに診せることも考えたが、ひとまずトイレを嫌がる理由について、あらためてお子さんを問いただすことにした。
「あれが出るから」と息子さんは答えたそうだ。
洗浄水が流れきった後で、便器に溜めとく水が排水口からチョロチョロ出てくるでしょう。あれといっしょに出るって言うんですわ、とSさん。
いったい何が出るのか、Sさん夫妻が訊ねると、
「お兄ちゃんなんだって」と男の子は答えた。
「ぼくのお兄ちゃんだって、あれが言ってた」
Sさんの驚きはむしろ、それを聞いた奥さんの反応にあったそうだ。突然、嘘よ嘘よデタラメばかりそんなことあるわけないじゃない全部嘘に決まってる、などとわめきながら子供に掴みかかりだしたという。
その間、子供は火がついたように泣きじゃくるし、妻はますます逆上するし、まるで地獄でしたよ、とSさんは語った。
その日から、今度は奥さんまでがトイレで用を足すことを拒否しだした。それどころか、Sさんがトイレを使うことさえ許さず、血走った目であれが出るからあれが出るからと繰り返す奥さんを、心理療法士のもとに連れて行く決心をするのに、さほど時間はかからなかったそうだ。
それにしても、水洗便所の排水口から出てくるという「お兄ちゃん」とは何なのだろう。そして、奥さんをそこまで逆上させた理由とは。
「まあ、いろいろ思うところはありますけどね。今はともかく何も考えないようにしてますよ」Sさんは吐き捨てるような口調で答えた。「家族3人揃ってカウンセラーのお世話になるわけにもいかんでしょう」 |
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| 『怪を書いたら』/高山大豆さん |
実話怪談は、難しい。
怖さの肝を掴んで文章化するのが難しいという部分もある。
他に、話の提供者の名前を仮名にしたり、場所が特定できないように誤魔化したり、枷に引っ掛かりそうな部分をカットしたり、と苦労する部分ばかりだ。
けれど、それ以上に難しかったのは……。 今回の怪談大賞の為に、周囲に「不思議だった話・怖かった話」を訊き回った。
「書くなら実話怪談」と決めていたからだ。
体験談は色々なものが二十数話集まり、幾つかは文章化して投稿している。
それでも、時間の許す限り採話し、書き続けようと決めた。
物事に「これでよい」ということはないと思うからだ。
そのおかげか、とんでもない「厭な話」を更に幾つか訊くことに成功した。
「これは絶対怖いぞ!」と確信。嬉々として執筆作業に入る。
しかし、それが失敗だった。
どうにも「タブー」というか「マズイ何か」に触れてしまったようである。
かなり厭な事が次から次へと起こった。
(それを書いてもいいが、書くと再発しそうなので、ここでは書かない)
「怪を語ると怪に至る」と言う話があるが、「怪を書いても怪に至る」のだろうか。
流石に怖くなって、その『厭な話』に関して書くのを止めた。
途端に、厭な事は収まった。
やはりあの話とあの話が原因だったのだ、と確信せざるを得なかった。
でも、その『厭な話』を書いて見たい欲求は、まだある。
けれど、書くと酷い目に遭う。
書きたいのに、書けないジレンマ。
問題は、この集まった「厭で、障りのある話」の行く先である。
いつまでも、手元に置いておきたくはないし、かといって……。 実話怪談は、難しい。 |
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| 『浄霊中』/我妻俊樹さん |
秦さんが夜遅くマンションに帰ってくると入口のガラスに「エレベーター故障中。階段をお使い下さい」そう書かれた紙が貼ってあった。
しかたなく秦さんは酔ってふらつく足を引きずりながら外階段にまわる。
ようやく四階にたどりつくと、廊下に通じる扉にも何か貼り紙があった。
薄暗い蛍光灯のあかりで目をこらしてみたところ、細い鉛筆のような字で「4階、浄霊中」と書かれているのが見えた。
文字の意味がわかると秦さんは気味が悪くなったが、近所の子供たちのいたずらだろうと思い紙を扉からはがして丸めると足もとに捨てた。
廊下に出ると静まり返った通路にうっすらと煙のようなものがただよっている。
秦さんがポケットから鍵を取り出しているときふと隣室のドアが目に入った。
ドアノブに短冊のようなものがぶらさがっていた。
「四〇二、浄霊終了」
鉛筆書きの読みにくい文字はそう読めた。
顔をあげひとつ先のドアを見ると同じように小さな紙きれがぶらさがっているのが見えた。もうひとつ先の部屋も、その次の部屋もドアノブに同じように白い紙が垂れていた。
すっかり酔いが覚めてしまった秦さんがとにかく部屋に入ろうとドアを引いたとき、辺りにただよっていた煙がにわかに濃くなった気がした。ふりかえると背後に真っ黒に塗りつぶされた人影が立っていて秦さんは悲鳴を上げた。
山伏と浮浪者を合わせたように見えるその男は、無言のまま前に倣えのように二本の腕をつきだしていた。ボロ布に包まれている両腕の先に、細長い紙きれの端が握られて文字が裏返しに街灯で透けていた。
「四〇一、浄霊失敗」短冊にはそう書いてあった。秦さんの部屋の番号である。
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| 『金縛り、タイプG』/じがさん |
中学校入学と共に金縛りが日常のひとつとなった、金縛りのベテランである友人K曰く、
「金縛りは99%が超リアルな夢」だという。
さらにそのバリエーションは、N・G・D……それとEの四つに分類できるそうだ。
さて、今回はそのひとつ、タイプG――重力(Gravity)の話をしよう。
金縛り中、何者かにのしかかられているような強烈な圧迫感に襲われることがある。いわゆる「夢魔」と呼ばれる現象だ。
Kもよくこの夢魔に悩まされることがあった。しかし、後で気付けばその正体は飼い猫だったり、自分の腕だった。ヒドイ時では、冬場の掛け布団の重ささえ夢魔へと変わることもあった。
K曰くタイプGとは、半覚醒状態の脳が重さを正常に認識できない状態のことをいう。これは原因がつかめても、息苦しさはどうにもならないのが難点だとボヤいていた。
さらにKは、ただ一度だけこんなことがあったと付け加えた。
Kがいつもどおり金縛りに掛かった時のこと。とてつもなく巨大なタイプGに襲われた。息苦しさとそのあまりの重量に、彼の身体はベッドの奥底へと沈みこんでいった。危機感から必死にもがこうとするが、「五行山に封じ込められた孫悟空」といった有様で、ただ数分とも永遠ともいえる時間を耐えるだけだった。
何とか金縛りが解け、窒息寸前で息を吹き返したKは恐怖のためか、大量の寝汗をかいていた。そこで着替えようと身体を起こそうとしたその時、何気なくベッドを見た。
先ほどまで彼が寝ていたところに、一匹の蜘蛛がいた。そいつはよろよろと動き出し、濃い闇へと消え去った。
結局、この金縛りもタイプE――謎(Enigma)に分類された。
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| 『ムカサリ絵馬について話す』/GIMAさん |
「こないだ、山形の天童市に行ってきまして」
「そりゃまた、どういう用件で?」
「ご存じですかね。ムカサリ絵馬を見に行ったんすよ」
「ほう。確か、冥婚がらみの絵馬だったよね?」
「さすがにお詳しい。その通りっす。青森なんかでは人形を奉納しますけど、天童市では夫婦の絵を描いて奉納するんですよね。前々から興味があったんで、思い切って、休みを取って」
「物好きだねえ。ちょっと見た事はあるけど、薄気味悪いよね」
「そうですねえ。だいたい絵馬を奉納するのは死んだ人の親ですから、なんというか、鬼気迫る物がありまして、見てるとちょっと背筋に走るものがありますね」
「気持ちは痛いほどわかるんだけどね」
「そう言えば、ひとつだけ、妙なムカサリ絵馬を見ました」
「妙って?」
「ムカサリ絵馬って、結婚相手がいないまま死んだ人を哀れんで奉納するものですから、その相手は、まあ言ってみれば単なる『絵』じゃないですか」
「だよね」
「だから、普通のムカサリ絵馬は、片方にだけ、名前や住所、享年なんかが書いてあるわけなんですけどね」
「その、妙なムカサリ絵馬は違った、と・・・」
「ええ。男女どちらにも、名前と住所が書いてありました。女性の方にだけ享年が書いてありましたね」
「2人一緒に亡くなったのかね」
「だったら、男性の方にも享年を記入するっしょ? いえね、もしかしたら、男性の方はまだ生きているんじゃないかなって」
「薄気味悪い事言うんじゃないよ。・・・で、その辺の事情、調べたの」
「1泊じゃ無理っすよ。時間をかければ何かわかったかも知れませんけどね。男性の方も死んでたら、しかもムカサリ絵馬を奉納してから死んでたら、それこそ洒落にならんでしょ」
「ある意味、呪いだよね。写真とかは撮ってきたの?」
「普通のムカサリ絵馬はね。そのムカサリ絵馬は、だめでした。どうにも・・・怖くって」
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| 『水色妖怪』/タクさん |
私の実体験をそのまま書きます。
あれは昨年、私が京都の晴明神社を参拝して、帰宅した時の話です。
旅の疲れもあってか、家に帰るとすぐさま一眠り。そしてその時夢うつつに見た光景。
それは、長い黒髪で顔を隠した女性がこちらに張って近寄ろうとするのを防ぐ、エジプトの象形文字のような小さな妖怪?(小人くらいの大きさで水色)でした。
自分の意識が夢から目覚めようとしているのを感じた私は、なんとかその妖怪のような存在を見ようと、懸命に目を凝らしました。
すると、その妖怪はそんな私を「そんな無理に見ようとするなよ…」とでもいいたげな呆れたような目で見ました。そして、私は目を覚ましました。ああ、あの妖怪は私を護ってくれていたんだなあ…ひょっとしたら晴明さんの式神だったとか?
今を持って詳細は不明です。 |
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| 『秘薬』/モモははさん |
蘇氏は名を陽成といい、貴賎の区別なく人の病を看る医者として知られていた。
ある夜更け。蘇氏の家の門を激しく叩く者があり、蘇氏が開門すると、身なりの良い男が、人足に担がせた輿を後ろに従え、立っていた。一礼すると、男は名を李安華と名乗り
「妻が、死病ため今夜にも命が危ない様子。ぜひ高名な蘇先生に診て頂きたく、輿の用意もしてまりました。秘薬の材料も用意してございます」と青ざめた顔で言った。
「秘薬とは、どのようなものか?」と蘇氏は問うたが、李氏は「来て頂ければ、お判りになります」と言うのみなので、蘇氏は用意の輿に乗り、街中の李家まで出向いた。
蘇氏が看た李氏夫人の顔には、もはや死相が表れていた。
「これが、秘薬の材料、人肉にございます」
李氏が、白布が掛かった盆を蘇氏の前に差し出した。人肉は、西王母の桃に匹敵する良い薬材で、親や夫の死病を治すため、自らの身から肉をそぎ落した忠義者の故事は幾多もある。
蘇氏は、李氏から盆を受け取ると持参の薬材と一緒に煮込み、李氏夫人に飲ませた。瞬時に、李氏夫人の顔から死相が消えた。
「次は、あなたの傷の治療をせねばなりません。奥様の為によく耐えましたね」
蘇氏が言うと、李氏は、泣きながら蘇氏に叩頭した。
「お許しください。お許しください。あれは、私の肉ではございません」
「では、誰の肉なのです?」
「妻が、子はまた産めばよいからと申すので…」
慌てて蘇氏が、李家の納屋にいくと、尻と腿の肉を大きく削がれた幼子が冷たくなって横たわっていた。 |
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